能「俊寛」

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「俊寛」は「景清」とならんで、能の中でも特別な作品である。まづ、能の最も大きな特徴である舞の部分がない。その代わりといっては何だが、演劇的な要素が強い。典型的な能のように、舞を通じて場面が展開していくのではなく、物語の持つ必然性を通じてドラマが展開していくのだといえる。

俊寛は、追放された人間の諦めと希望を描いた作品だ。諦めは希望を内在させ、希望は打ち砕かれることで絶望を内在させる。日本の演劇の歴史では、これほど劇的な構成をもった作品はそれまでになかった。

景清と同様、平家物語の挿話に題材をとった作品だ。景清の場合、晩年の零落を描いている点で、原作とは離れたところでドラマを作り上げているが、俊寛は原作に忠実なままで、原作ではうかがい知られなかった俊寛個人の内面の葛藤を描き出している。

ストーリーは至って単純だ。平家討伐の陰謀が破れて、丹波の少将成経、平判官入道康頼とともに九州の孤島鬼界が島に流された俊寛は、一刻も早く赦免の知らせが来て、都に帰れることを願っている。そこに中宮安産の祈祷のために恩赦が行われ、それを知らせる使いの船が、鬼界が島にもやってくる。

だが使節の伝える恩赦の内容は、成経、康頼のみが赦免されるというものだった。知らせを聞いた俊寛は我が耳を疑う、三人は同じ罪のはずなのに、何故自分だけが赦免からもれたのか、もしや書記が書き間違えたのではないか、なかなか信じることが出来ないのだ。

そうこうするうち、赦免船は成経らを一緒に船に乗せて、内陸に引き返そうとする、俊寛はその船に追いすがって一緒に連れて行ってくれと懇願するが、船頭はそんな俊寛を突き放して、沖へ沖へと船は遠ざかっていく。

遠ざかり行く船をうらやましげに見送る俊寛の涙が、この劇を文字通りドラマティックに仕上げている、能には珍しく緊張感溢れる作品だ。

ここでは2010年9月にNHKの能楽番組が放送したものを紹介しよう。シテは野村四郎、ワキは宝生閑がつとめていた。

冒頭部はワキによる名乗り、中宮安産の祈祷のため非常の大赦が行われ、鬼界が島の流人にも赦免が出る旨を口上する。(以下テクストは「半魚文庫」を活用)

ワキ詞「これは相国に仕ヘ申す者にて候。さても此度中宮御産の御所の為に。非常の大赦行はるゝにより。国々の流人赦免ある。中にも鬼界が島の流人の内。丹波少将成経。平判官康頼二人赦免の御使をば。某承つて候ふ間。唯今鬼界が島へと急ぎ候。

ついで場面は鬼界が島にかわり、成経、康頼が登場する。

成経、康頼、次第「神を硫黄が島なれば。神を硫黄が島なれば。願も三つの山ならん。
サシ「これは九州薩摩潟。鬼界が島の流人の内。
成経「丹波の少将成経。
康頼「平判官入道康頼。
二人「二人が果にて候ふなり。われら都にありし時。熊野参詣三十三度の。歩をなさんと立願せしに。其半にも数足らで。かゝる遠流の身となれば所願も空しく早なりぬ。せめての事の余りにや。此島に三熊野を勧請申し。都よりの道中の。九十九所の王子まで。
下歌「ことごとく順礼の。神路に幣をさゝげつゝ。
上歌「こゝとても。同じ宮居と三熊野の。同じ宮居と三熊野の。浦の浜木綿ひとへなる。麻衣のしをるゝを唯其まゝの白衣にて。真砂を取りて散米に。白木綿花の御祓して神に歩を。運ぶなり神に歩を運ぶなり。

ついで俊寛が登場する。三人は離島に流されている身の上をかわるかわる嘆きあう。

シテ一セイ「後の世を。待たで鬼界が島守と。
地「なる身の果の。闇きより。
シテ「闇き。道にぞ。入りにける。
サシ「玉兎昼眠る雲母の地。金鶏夜宿す不萌の枝。寒蝉枯木を抱きて。鳴き尽して頭をめぐらさず。俊寛が身の上に知られて候。
康頼詞「あれなるは俊寛にてわたり候ふか。これまでは何の為の御出にて候ふぞ。
シテ詞「早くも御覧じとがめたり。道迎の其為に酒を持ちて参りて候。
康頼「そも一酒とは竹葉の。此島にあるべきかと。立ち寄り見れば。や。これは水なり。
シテ「これは仰にて候へども。それ酒と申す事は。もとこれ薬の水なれば。れい酒にてなど無かるべき。
康頼成経「げに/\これは理なり。頃は長月。
シテ「時は重陽。
康頼成経「所は山路。
シテ「谷水の。
三人「彭祖が七百歳を経しも。心を汲み得し深谷の水。
地歌「飲むからに。げにも薬と菊水の。げにも薬と菊水の。心の底も白衣の。ぬれてほす。路の菊の露のまに。我も千年を。経る心地する。配所はさてもいつまでぞ。春すぎ夏たけて又。秋暮れ冬の来るをも。草木の色ぞ知らするや。あら恋しの昔や。思ひでは何につけても。あはれ都にありし時は。法勝寺法成寺たゞ喜見城の春の花。今はいつしか引きかへて。五衰滅色の秋なれや。落つる木の葉の盃。のむ酒は谷水の。流るるも又涙川水上は。我なるものを。物思ふ時しもは。今こそ限なりけれ。

そこへ赦免状を持った使いのものがやってくる。俊寛はその赦免状の中には、自分の名が含まれていることを当然のこととして、康頼に中身を読み上げるように促す。だがそこに自分の名がないのを知ると、俊寛は呆然とする。

ワキ「早船の。心にかなふ追風にて。舟子やいとゞ。勇むらん。
詞「いかにこの島に流され人の御座候ふか。都より赦免状を持ちて参りて候。急いで御拝見候へ。
シテ詞「あら有難や。候。やがて康頼御覧候ヘ。
康頼「何々中宮御産の御祈の為に。非常の大赦行はるゝにより。国々の流人赦免ある。中にも鬼界が島の流人の中。丹波の少将成経。平判官入道康頼二人赦免ある所なり。
シテ「何とて俊寛をば読み落し給ふぞ。
康頼「御名はあらばこそ。赦免状の面を御覧候へ。
シテ「さては筆者のあやまりか。
ワキ「いや某都にて。承り候ふも。康頼成経二人は御供申せ。俊寛一人をば此島に残し申せとの御事にて候。

俊寛は自分だけが残されることを、いやというほど思い知らされて、さまざまに愚痴をいうが、いまさらせん方もない。とにかくそれが運命というものの恐ろしいところ。

このあたりの場面は一曲のクライマックスというべきところで、俊寛が赦免状を手にしながら口説くところが見所、聞き所だ。

シテ「こはいかに罪も同じ罪。配所も同じ配所。非常も同じ大赦なるに、一人誓の網に漏れて。沈み果てなん事は如何に。
クドキ「此ほどは三人一処に有りつるだに。さも恐ろしく凄ましき。あら磯島にたゞ一人。離れて海士の捨草の。波の藻屑のよるべもなくてあられんものか浅ましや。歎くにかひも渚の千鳥。泣くばかりなる有様かな。
地クセ「時を感じては。花も涙をそゝぎ。別を恨みては。鳥も心を動かせり。もとよりも此島は。鬼界が島と聞くなれば。鬼ある処にて今生よりの冥途なり。たとひ如何なる鬼なりと此あはれなどか知らざらん。天地を動かし鬼神も感をなすなるも人のあはれなるものを。此島の鳥獣も鳴くは我をとふやらん。
シテ「せめて思の余りにや。
地「さきに読みたる巻物を。又引き開き同じあとを。繰り返し/\。見れども/\たゞ。成経康頼と。書きたる其名ばかりなり。もしもライ紙にやあるらんと巻きかへして見れども。僧都とも俊寛とも書ける文字は更になしこは夢かさても夢ならば。さめよ/\と現無き。俊寛が有様を見るこそあはれなりけれ。
ワキ「時刻うつりて叶ふまし。成経康頼二人ははや。御船に召され候へとよ。
康頼成経「かくてあるべき事ならねば。よその歎きをふりすてゝ。二人は船に乗らんとす。

いよいよ船は成経、康頼の二人を乗せて、沖へと漕ぎ出していく。俊寛はその船にすがり付くが、船頭が櫨櫂を振り上げて打とうとするので、やむなく引き下がる。

シテ詞「僧都も船に乗らんとて。康頼の袂にとりつけば。
ワキ「僧都は船に叶ふまじと。さも荒けなく言ひければ。
シテ詞「うたてやな公の私といふ事のあれば。せめては向の地までなりとも。情に乗せて給び給へ。
ワキ「情も知らぬ舟子ども。櫨櫂をふりあげ打たんとすれば。
シテ「さすが命の悲しさに。又立ち帰り出船の。
詞「纜に取りつき引きとむる。
ワキ「舟人ともづな押し切つて。船を深みに押し出す。
シテ「せん方波にゆられながら。たゞ手を合はせて船よなう。
ワキ「船よといへど乗せざれば。
シテ「力及ばず俊寛は。
地「もとの渚にひれふして。松浦佐用姫も。我が身にはよも増さじと。声も惜まず泣き居たり。

そんな俊寛に、船の中のひとびとは、いづれあなたにも赦免があるかもしれないと、慰めの言葉をかけつつ遠ざかっていく。俊寛はその影の消え去るまで、いつまでも浜に倒れ付していた。

ツレワキ三人ロンギ「痛はしの御事や。我等都に上りなばよき様に申し直しつゝ。やがて帰洛はあるべし御心づよく待ち給へ。
シテ「帰洛を待てよとの。呼ばはる声も幽なる。頼を松蔭に。音を泣きさして聞きゐたり。
三人「聞くやいかにとゆふ波の。みな声々に俊寛を。
シテ「申し直さば程もなく。
三人「必ず帰洛あるべしや。
シテ「これは誠か。
三人「なか/\に。
シテ「頼むぞよたのもしくて。
地「待てよ/\といふ声も。姿も。次第に遠ざかる沖つ波の。幽なる声絶えて船影も人影も消えて見えずなりにけりあと消えて見えずなりにけり。

この能は現在ものだが、シテは面をかぶる。俊寛という、この能限りの特別な面で、流派や家ごとに特徴がある。


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このページは、が2011年2月18日 20:10に書いたブログ記事です。

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