アラブ諸国の民主化要求デモ ドミノ式に広がる

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チュニジアに発した民主化要求デモは、エジプトのムバラク体制を打倒した後、北アフリカ・中東のアラブ諸国へドミノ式に広がり、イェメン、バーレーン、リビアで連日大規模なデモが繰り広げられている。そのうちリビアのデモは最も先鋭化しており、治安部隊との衝突の結果、16日から18日までの3日間で、84人が死亡したと伝えられる。

リビアのネット上では、2月17日を怒りの日と定め、カダフィ政権を打倒しようと呼びかけ、これに呼応した膨大な数の人々が、ベンガジをはじめ北東部の各都市でデモを行った。

民衆はカダフィ大佐が率いた革命の記念碑「緑の書」を破壊し、カダフィ打倒を叫んだ。(上の写真:AFP提供)

これに対して政府側はインターネットを遮断したり、政府支持のデモ隊を組織して対抗したり、デモ隊を武力で鎮圧しようとしているが、民衆の反体制運動は一向に鎮まる気色がない。19日以降もデモが予定され、場合によってはリビアもエジプトと同じ結末を迎えるかもしれない。

リビアは1969年にカダフィ大佐が権力を掌握して以来、実質上の独裁国家だった。議会も憲法もなく、国家元首もいない。カダフィ大佐が独裁者として人治主義に基づく政治を行ってきたわけだ。高齢を意識するようになった近頃は、自分の息子に権力を引き継ごうとする動きも匂わせていた。

そんな抑圧的な政治の在り方のもとで、権力の腐敗と広がる格差に憤った民衆が、チュニジアやエジプトの革命に刺激されて立ち上がったということだろう。

ところでひとつ面白いことがある。リビアは産業の近代化の目玉としてIT産業の育成に取り組み、ネット網の構築にも力を入れてきたという。それがリビア国民と世界を結ぶ巨大な窓となり、隣国における民主化の動きに素早く反応する事態を招いたわけだ。

デモが活発化して後、政府はネット網を遮断する行動に出たが、時すでに遅し、民衆は横に広く連帯しながら体制の打破に立ち上がったわけだ。


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このページは、が2011年2月19日 20:30に書いたブログ記事です。

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