蘇軾の楽府「江城子」(壺齋散人注)
十年生死兩茫茫 十年 生死 兩つながら茫茫たり
不思量 自難忘 思量せざるも 自ら忘れ難し
千里孤墳 千里 孤墳
無處話淒涼 話す處無く淒涼たり
縱使相逢應不識 縱使(たとひ)相ひ逢ふも應に識るべからず
塵滿面 鬢如霜 塵 面に滿ち 鬢 霜の如し
互いに別れ別れになってはや十年、あえて思い起こそうとせずとも、忘れることはない、千里を越えて汝の墓所に来ても、もはや語るべきことはない、たと生きて出会っても、顔はチリで汚れ、髪は真っ白、(気づくこともなかろう)
夜來幽夢忽還鄉 夜來 幽夢 忽ち鄉に還れば
小軒窗 正梳妝 小軒の窗に 正に梳り妝ふ
相顧無言 相ひ顧みず無言にして
惟有淚千行 惟だ淚の千行たる有り
料得年年斷腸處 料り得たり年年斷腸の處
明月夜 短松岡 明月の夜 短松の岡
昨夜の夢の中で故郷に帰ってみると、汝は窓辺に座り、髪を梳かして装っていた、互いに見つめ合っても言葉もなく、ただ涙がとめどなく溢れるばかり、だが来る年も来る年もこうして逢瀬を重ねたい、名月の夜に、短い松が生える丘で
治平2年(1065)、妻の王弗が26歳で死んだ。彼女は聡明な女性で、15歳の時に18歳の蘇軾に嫁いで以来、陰に陽に夫を支えた。蘇軾にはいささか、物事にあきやすく、また激しやすい性格があったが、彼女はそうした夫が極端に陥るのを制御してくれたのだった。
王弗が死んだとき、父親の蘇洵は息子に向かって、「お前の妻は、お前にずっと付き添ってきたが、お前の出世をともに喜ぶことなくあの世に行ってしまった、お前は彼女を、お前の母親のもとに葬らねばならぬ」
王弗は、父親蘇洵の意思に基づいて、蘇軾に嫁いできたわけだから、蘇洵にとっては、実の娘とかわるところがなかっただろう。
この王弗の死を悼んで、蘇軾は美しい楽府を作った。楽府とは、歌の歌詞のことである。
関連サイト: 漢詩と中国文化
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