日本の官僚機構は民衆の敵か? 東日本大震災

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東日本大震災では、被災者たち自身の冷静・沈着な行動が、世界中の人々の目に印象的に映ったようだが、その影で、被災者たちを援助すべき立場にある行政機構が、かえって被災者たちの足を引っ張っているという実態が、一部の外国人ジャーナリストを憤慨させているようだ。

たとえば、TIMEのWEB版では、日本の官僚機構が被災者たちの援助を妨害しているとして、その具体的な例を紹介している。Is Japan's Bureaucracy Strangling Humanitarian Aid? By Hannah Beech

今回最も問題になったのは、被災地への物資供給が円滑に行われなかったことだ。通常、こうした被害が起きた際には、遅くとも四日以内に物資を行き渡らせるというのが国際的な常識だが、今回の場合には十日たってもまだ物資が十分にいきわたらない事態が生じた。

これは震災の規模が巨大で、避難所の数も膨大だったせいもあるが、それ以上に、官僚機構のお役所仕事ぶりが、悪い働きをしていたという。

民間の機関が被災地に物資を運ぼうとしても、運輸当局のパスポートがないと道路を通れない。これは神戸大震災のときに、無秩序な輸送が道路をふさいだという反省に立った措置だが、余りにも時間がかかり過ぎることで、折角の善意の品が無駄になるケースが多発した。必要な規制も行き過ぎては、被災者の苦しみを増すことにしか寄与しない。

次に、ボランティアの活用ができていない点だ。被災地では、時間の経過とともに人手不足が深刻化している一方、自分のできることでお手伝いをしたいという善意のボランティアがたくさんいる。ところがこの両者を橋渡しすべき立場の行政機関が、橋渡しどころか妨害に似たことをやっている。

たとえば埼玉アリーナには、周辺から援助を申し出るボランティアが大勢集まってきているのに、行政は混乱を理由に、彼らを締め出すようなことをしている、というのだ。

また被災地の現場に、外国の医師がボランティアとして駆けつけても、日本の医師免許がない限り、手の込んだ治療はできないことになる。薬の援助についても、日本の薬事当局の承認を得るのに長い時間がかかるといった具合だ。

以上は当該論文の中で触れられていたことだが、そのほかに、情報開示のあり方にも問題がある。官房長官の話をはじめとして、日本の官僚機構が発する情報の中身は具体性に乏しく、矛盾に満ちてもいる。

たとえば、放射線漏れに関して、一方で量的にはたいしたことではなく、心配もいらないといっておきながら、他方では住民に対して避難を指示する。これでは安心していいのか、不安に思うべきなのか、聞くほうは混乱するばかりだ。

野菜や生乳の放射線汚染を発表するときにも、一様に異常な言い方がまかり通っていた。具体的な数字を言わずに、ただ心配するには及ばないというだけなのだが、心配の必要がないなら、何故供給をストップさせるのか。聞いているほうでは、さっぱりわけがわからないということになる。

こういう場合には、具体的な数字を発表したうえで、その数字が持つ意味を丁寧に説明すべきなのだ。ところが数字も示さず、意味もわからせぬまま、心配するなとだけいわれても、困るというのが当たり前の反応だろう。

こういうわけで、日本の官僚機構がいかに特異な体質をもっているか、はからずも外国人の目を通じて、思い知らされたというのが、日本人として恥ずかしい話だが、現実のところだ。


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