ポーランド大統領墜落死事件の碑文、いつの間にか書き換えられる

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2010年4月に当時のポーランド大統領カチンスキーをはじめ90人以上のポーランド人を乗せた飛行機がスモレンスク付近で墜落し、全員が死亡した事故からちょうど一年たった2011年の4月9日、コモロフスキー現大統領のアンナ夫人が遺族の一行を連れて現地を訪れたところ、信じられないようなことが起こっていた。

事故現場には、カチンスキーたちの墜落死を巡る碑文が置かれているが、そこに書かれた内容が、ポーランド側に内緒のまま、ロシア側によって一方的に書き換えられていたというのである。

そもそもカチンスキー大統領の一行が、スモレンスクに向かったのは、第二次世界大戦中に生じたカトゥィンの森虐殺事件を記念する行事に出席するためだった。この事件は、ソ連側によるポーランド人兵士の大量虐殺事件として、両国の間で長年のわだかまりであったところ、ロシア側が事実を認めて謝罪したことを契機に、ポーランド側が死者の冥福を祈るための記念行事を計画したというのが、これまでのいきさつで、当該の碑文にはこうした事情が書かれていたのである。

ところがロシア側は、碑文の内容からカトゥィンの森虐殺事件に関する記事を削除し、カチンスキー大統領の一行が不慮の事故によって死んだとだけ書き直した。

この事故の原因については、先日ロシア側の事故調査結果が発表されたところだが、それによれば、事故の原因はすべてポーランド人側の過失にあったと記されていた。あまつさえ、ポーランド人たちは、飛行機の中で酒を飲んでいたのだから、墜落するのは当たり前だ、というような趣旨の言及もあった。

これに対してポーランド人が激怒したのは言うまでもない。そもそもこの種の事故の調査は関係国が共同で行うのが国際法上の取決めなのに、ロシアはポーランドの介入を拒んで一方的に調査した。それ自体調査の信頼性を疑わせるといってよいのに、ポーランド人をことさらに侮辱するために、ありえないことまで吹聴している。ロシア人の残酷で非人間的な民族性を改めて照らし出したものだ、というわけである。

ところで、ロシアがなぜ今の時点で、いずればれるのが明らかな行為をしたのか、部外者たる筆者にはわからぬところが多い。いずれにせよ、これをきっかけに、ポーランドとロシアとの間に感情的な溝が深まるのは避けられないようだ。


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このページは、が2011年4月11日 20:27に書いたブログ記事です。

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