ここまで図々しくなれる人間もいるものかと、筆者はあいた口がふさがらなかった。東京電力の清水社長のことである。
この男は原発事故の二日後から行方をくらまし、今まで雲隠れしてきた男だ。その男が震災一か月の節目を利用して、ノコノコと姿を現し、まあ世間へ向けて謝罪のパフォーマンスを見せるのはいいとしても、自らの進退について、未練たっぷりのコメントをした。
それが振るっている。
「自分の使命は今回の事故を収束させることにあると考えています。」
日本の政治家が責任逃れをするときによく使う手口だ。
しかし、バカでもない限り、東電が置かれている現在の状況の下で、そんなことがよく言えるな、というのが筆者の率直な感想だ。
事故処理を云々するなら、何故今まで雲隠れしていたのか。雲隠れしたのでは、事故処理も糞もないではないか。
百歩譲って過去のことは言わないにしても、今まで何もかもほっぽり出して雲隠れを決め込んでいた人間を、未来にわたって信頼できるものなど、どこを探したら、いるというのだ。
損害賠償のことを聞かれると、政府と相談したうえで、よきように計らうから、心配するなといった言い方だ。まるで自分の責任を自覚しておらず、他人事のようにしか考えていないのではないか。こう思ったのは筆者だけだろうか。
人間というものは、悪いことをしたときは、率直にそれを認め、場合によっては謝罪したうえで、生じた損害を、誠意をもって回復する、それが当たり前のことだ。
ところがこの清水という男には、人間として当たり前のことがわかっていないのではないか。
こうした筆者の思いは、日本人として、或は人間として、常軌を逸脱した感じ方だろうか。
福島県知事の佐藤さんは、清水社長の謝罪の申し出を拒絶したというが、筆者の感覚からすれば、よく理解できるところだ。
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