浜岡原発は大丈夫か:揺らぐ原始力安全神話

| コメント(0) | トラックバック(0)

110424.hamaoka.jpg

今回の福島原発事故は世界中の原発推進運動に冷水を浴びせかけ、ドイツなどでは原発から脱却しようとする動きがでているほどだが、日本では、今後の原子力政策はどうあるべきかについて、いまだ本格的な議論は始まっていない。というより、これほど深刻な被害を受けたというのに、原子力政策を見直そうという動きそのものが、高まっていないというのが現状だ。

このままでは、日本の原子力推進勢力は、福島原発の事故など起こらなかったかのように、引き続き原発推進に向けて邁進していくのではないか、筆者などはそう思ったりする。やはりここは、国民全体が原子力発電所の安全性をめぐって、真摯な議論を行い、原発を推進しようとする方向性を出す場合でも、安全について磐石といえる体制を整える必要がある。

そういう意味で、いま問い直されるべきもっとも喫緊の課題は、浜岡原発は果たして大丈夫か、ということである。

浜岡原発についてはこれまでも、地元住民が廃炉を主張して法廷闘争を繰り広げ、一定程度世間の関心を集めてきたが、福島原発事故を経験した現在、改めて注目を集めている。

浜岡原発は静岡県の御前崎海岸にある中部電力の施設だが、いろいろな点で福島第一原発とよく似ている。まず構造上は福島第一原発と同じ沸騰水型軽水炉だ。その原子炉が5機、海岸線に沿って立っている。福島第一とほとんど同じ平面計画だ。海に面しているので、津波がやってきたら、正面から受ける形になる。その場合に気になるのは防潮堤の高さだが、これが8メートルの津波しか想定していないという。

だからもし、東日本大震災と同じ規模の地震が起こり、同じ規模の津波におそわれたらどういうことになるか、子どもでもわかるところだ。

ところがその簡単なことが、関係者の間で、これまで十分議論された形跡がない。筆者にはどうもそこが不思議に映る。

反対派が廃炉を求めて法廷闘争に持ち込んだ中で、裁判所はこれまで、中部電力の言い分を認めてきた。中部電力の安全対策を、それなりに評価してのことだ。

そこで浜岡原発の安全性に関して、中部電力が説明してきた内容を見ると、地震対策については、マグニチュード8.0、津波の高さについては8メートルを想定して、万全の措置をとっているというものだった。

これに対して反対運動の側は、浜岡原発がこれまでにマグニチュード7以下の地震で何度もシステムダウンしてきたことをあげて、中部電力の安全対策の不十分さを主張したのだったが、裁判所は中部電力がいうマグニチュード8対策が適切に実施されることを条件に、原発の存続を容認してきた。一方、津波に関しては、中部電力も反対運動の側も、あまり突っ込んだ議論をしてこなかったというのが実態だった。

おかしなことだが、浜岡原発に関して、反対運動が主張した問題点とは、原発が巨大な断層の上に立地しており、したがって直下型地震の可能性が非常に大きいということだった。こうした想定のもとでは、津波の心配はそう大きく取り上げられないのである。

ところが、浜岡原発の安全対策が深刻に考慮しなければならぬのは、いわゆる東海地震のほうだ。専門家によれば、東海地震の発生メカニズムは今回の東北沖地震とほとんど同じで、そのエネルギーも今回の場合に劣らぬほど巨大になりうる。津波の規模でも、今回と同じよう20メートル前後の巨大なものが想定される。

こうした想定のもとで、果たして安全を保障できるのか。ここが問われなければならぬところだ。

福島原発の事故を踏まえて、中部電力は最近、新たな安全対策をアピールしている。それによれば、現在8メートルとしている津波の想定上の高さを12メートルに変更して、防潮堤の整備を図るというのが中心で、このほかに電源確保のための多面的な方策などが言及されているが、果たしてそれで福島を襲ったのと同じ程度の震災に耐えられるのか、明確な説明はない。


関連記事:
福島原発事故と二大原発事故の比較
福島原発事故は起こるべくして起こったか
放射能汚染はどこまで広がるか:福島原発事故
作業員の被ばくと収まらない放射能漏れ:福島原発事故
東電社長の雲隠れを批判する Washington Post
放射能汚染水を海に放出:福島原発事故
ここまで図々しくなれるか:東電清水社長、姿を現す





≪ 東電の福島原発事故対策工程表、早くも実現性に疑問の声 | 東日本大震災 | 震災避難者につらい追い討ち:進まぬ仮設住宅建設 ≫

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://blog.hix05.com/cgi/mt/mt-tb.cgi/3094

コメントする



アーカイブ

Powered by Movable Type 4.24-ja

本日
昨日

この記事について

このページは、が2011年4月19日 20:20に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「參河の國に犬頭糸を始むる語:今昔物語集巻二六第十一」です。

次のブログ記事は「六月二十七日望湖樓醉書其五(故郷此の好湖山なし)蘇軾」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。