東日本大震災の被災地にも桜の花が咲いて、新学期が始まった。しかし多くの学校では、どうやって授業環境を整えられるか、いまだに模索が続いている。学校そのものがなくなってしまったところが数多くあるほか、残った学校では、いまだ多くの避難者が、教室などで不自由な生活を強いられている。
そこで、多くの避難者を抱える学校では、生徒の教室を確保するために、教室で暮らしている人たちに、体育館などへの移動を要求するところも出てきた。児童の教育環境を考えればやむをえない措置かも知れぬが、教室から体育館への移動は、居心地などさまざまな面で、いっそうの不自由や苦痛につながり、ただでさえ不自由な暮らしをしてきた避難者にとっては、追い討ちをかけられるようなつらいことだ。
立ち退きを迫られた人々の中には、50日もたった時点で、仮設住宅建設の見込みも立たず、ただ一方的に移動するよう要求されることに、憤りを爆発させている人もいたが、多くの人々は、子どもたちの教育を考えれば、自分たちが立ち退くのは、仕方のないことだといっていた。
仕方がないというには、被災者たちの境遇は、もう十分すぎるほど苦汁に満ちたものだったはずだ。それがまだ重ねて自分から苦汁を飲もうとしている、そんな人々の表情をテレビで見て、筆者は思わず涙が出てしまった。
すでに50日もたつ。一口に50日といっても、劣悪な生存環境の中で、プライバシーもなく過ごさざるを得ない人々にとっては、気の遠くなるような長い道のりだったに違いない。
やはり最大の問題は、被災者たちがとりあえず自分の生活を営めるための、仮設住宅の建設がなかなか進まないことだ。土地の確保が順調に進まないなど、さまざまな理由が述べられているが、それにしても余りにも遅すぎるのではないか。国、県、市町村が一体となって、全力で取り組むようでないと、いつまでたっても、住宅難民の問題は解決されない。
それにしても、日本の今の政権は、こうした被災者たちの苦しみに鈍感過ぎるのではないか。一日も早い復旧のために、政治家が先頭になって奮闘せねばならぬところ、復興関連法案の成立は連休明け以降の課題にしたいなどといってはばからない。
人の痛みを想像できない人たちの言い草だ、たるみきっていることの現れだ。(写真は岩手県赤崎小学校の桜:時事通信提供)
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