内閣参与と云えば、時の政権にとっての知恵袋、総理大臣とは何重もの信頼関係によって結ばれている、国民の誰もがそう思っているところだろう。だからその任に当たるものが、総理大臣に辞表を突きつけるというのは、並大抵のことではない。その並大抵では考えられないことが、菅政権のもとで起こった。
菅首相自ら、福島原発事故への適正な対応を図るために任命した原子力の専門家小佐古敏荘東大教授が、政府の対応に批判を表明し、菅首相に直接三行半を叩きつけたのだ。
小佐古教授は辞任表明したあと、記者会見を開いて、辞任の理由を述べた。「今回の原子力災害で、官邸の対応はその場限りで場当たり的だ。提言の多くが受け入れられなかった」というのが、その骨子だ。
具体的にその言い分を追ってみると、まず第一に、政府の原子力防災指針で「緊急事態の発生直後から速やかに開始されるべきもの」とされた「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)」による影響予測がすぐに実施・公表されなかったことを指摘。「法律を軽視してその場限りの対応を行い、事態収束を遅らせている」と批判した。
現場で復旧作業にあたる作業員について、年間の被ばく限度量を100ミリシーベルトから250ミリシーベルトに挙げたことも、何らの科学的根拠に基づかない、ただただ当面の作業員の確保を目的にした、その場限りの無責任なやり方だと強く批判した。
教授が最も許せないとしているのは、学校の放射線基準を20ミリシーベルトに引き上げたことだ。教授自身は子供の安全を最大限尊重して1ミリシーベルトにとどめることを主張した。ところが菅政権は学校の日常の秩序を優先して、自分の主張を採用しなかった。
チェルノーブィリのケースでは、最も広範でかつ最も深刻な犠牲者となったのは子供たちだ。その犠牲の詳細については、放射能の影響の範囲を含めてまだわからないことがあまりにも多い。そうした状況の中で、子供たちの健康を守るためには、慎重の上にも慎重を重ねる必要があるにかかわらず、菅政権は最も場当たり的で最も根拠の乏しいやり方を採用した。
これでは何のために参与を務めているのかわからない、むしろ科学的な根拠もないままに政権の言いなりになることで、国民に敵対するようなことになりかねない、教授はそう考えたのだろうと思う。
筆者も全く同感だ。菅内閣の場当たりで危険な原発事故対策については、かねがね疑問を持っていた。その疑問を小佐古教授もまた共有していたことがわかり、教授の辞任は無理もない選択だと思った次第だ。
それにしても女房役ともいえる人に、あからさまに三行半を突きつけられるようでは、菅さんももう終わりだ、と筆者は思わざるをえない。大方の国民もまた、そう思うのではないだろうか。
(追伸)菅総理大臣は、国会でこの問題についての所信を求められて、「見解の相違だ」と述べたそうだ。ことが菅さん得意の政局がらみなら、「見解の相違」も話になるかもしれない。だが人間の命に係わる問題を「見解の相違」で片づけられたのでは、国民は不安でたまらないところだ。
関連記事:
国民を愚民視する日本政府を国民の誰が信頼できるだろうか
日本政府は情報操作をしているか:福島原発事故
福島原発事故の評価をチェルノーブィリと同じレベル7に>
東日本大震災から一か月:いまもなお「現在進行中」