ロベール・デスノス(Robert Desnos)の生涯と作品

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筆者がロベール・デスノス(Robert Desnos)のことを知ったのは、イリア・エレンブルグ(Илья Эренбург)の回想録を通じてだった。1960年に書き書きはじめられたこの回想録は「人々、歳月、生活(Люди、Годы、Жизни)」と題されてノーヴィ・ミール誌上に発表され、日本では木村浩の訳が「我が回想」という題で出版されたが、それに先立ち小笠原豊樹が「芸術家の運命」という題名で抄訳していた。

この抄訳は、画家、詩人、小説家、劇作家など、エレンブルグが親しくしていた同時代の芸術家について、その人柄と作品を論じたもので、出版された当時(1964年以降60年代後半)筆者のように大学でロシア語を学ぶ連中の間では、ブームともいうべきほどの人気を呼んでいた。

実際読んで面白かった。スケッチ風の軽妙洒脱な文章が、芸術家たちの肖像をまぶしいほどに浮き上がらせていた。

単に芸術家たちの作品を論ずるだけでなく、彼らの人間性について、自分の目でとらえたところを紹介していたが、個々の芸術家を見つめる視点には、親愛と尊敬の念がこもっていたし、確固とした人間性を感じさせた。

エレンブルグが初めて出会った1927年頃のデスノスは、シュルレアリズム運動の中にあっても、一人独自な雰囲気を発散させていた。ブルトンはじめ多くのシュルレアリストたちが、物事をやたら複雑化させ、「一本の髪の毛を四つに裂く」ことに精を出していたなかで、デスノスは人々に理解されやすいような、わかりやすさを追求していた。

エレンブルグはそんなデスノスの姿勢に共感した。飾らずにわかりやすい言葉で表現しながら、デスノスの詩には豊かなインスピレーションが溢れていた。

エレンブルグがデスノスを巡る大事なエピソードとして紹介しているのは、妻のユキとレジスタンス運動へのかかわりだった。

ユキはもともと日本人画家藤田嗣治の妻だった。デスノスがユキと出会ったのは1930年ごろと思われるが、二人はたちまち恋に落ちた。そのことを知って懊悩した藤田は1931年に日本へ帰国し、ユキは藤田と離婚してデスノスの妻となった。

デスノスはこのユキを生涯深く愛した。彼女をたたえる詩をたくさん書き、ナチスによって収容所へ放り込まれ、生きる望みのない状態の中でも、彼女をたたえる詩を作り続けた。

デスノスは妻への愛は無論、生き方のあらゆる相において、誠実だった。芸術家である以前に、ひとりの素晴らしい人間だったのだ。

デスノスは1940年にレジスタンス運動に加わった。匿名でパンフレット類などを出しては、フランス人の精神を鼓舞し続けていたが、1944年の2月22日にゲシュタポにつかまった。つかまる直前、友人が電話をかけてきて家へは戻るなと忠告したが、それではユキが連行されるだろうと考えて、デスノスは自分から網にかかったのだった。

連行後コンピエーニュの収容所に入れられたが、其の後オスヴェンツィムに送られ、さらにあの悪名高いブッヘンヴァルトへ移され、最後はチェコのテレジン収容所へ送られて、そこで死んだ。テレジン収容所は1945年5月3日にソビエト軍によって解放されたのであるが、そのときデスノスはチフスにかかっており、ろくな治療も受けられぬまま、6月8日に息を引き取ったのだった。

収容所の中でも、デスノスは絶望したりなどはしなかった。かえってほかの囚人たちをしきりに勇気づけようとした。またユキにあてて、届くあてもない手紙を書いたりした。その内容は、デスノスの精神的純潔ともいうべきもので満ちている。

エレンブルグは戦後デスノスの最後の消息を聞かされて、深く悲しんだといっている。そして世界からひとつのコダマが消えたといって、この人間性に溢れた詩人の死を、人類にとっての深い損失だといって悼んだ。

筆者はそんなデスノスの詩を、深く愛してやまないもののひとりだ。このシリーズも佳境を迎えるに当たり、デスノスの愛すべき詩を翻訳できることを、うれしいと思う。またデスノスには、小さな子供を対象としたおとぎ歌といえるシリーズがあるが、それも併せて紹介したい。


関連サイト:フランス文学と詩の世界





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このページは、が2011年5月 5日 17:44に書いたブログ記事です。

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