学習院が目白に移転してきたのは明治41年(1908)、乃木稀典が10代目の学長を務めていた頃だ。だからキャンパスのレイアウトや学校の運営指針には乃木の意向が強く反映しているという。
構内の建物は当初木造ばかりであったらしいが、昭和の始め頃に、ぼちぼちレンガ造りの建物が建てられるようになった。その一部が今でも保存されており、また改築に際して外観を保存する工夫もなされている。
これは西一号館を描いたもの。この建物は昭和5年に建てられたときと同じ様子を保っている。設計したのは宮内省の建築技師。なかなか絵になる眺めだ。
先日「東京を描く市民の会」の皆さんのスケッチ大会に参加した折にスケッチしたものをベースに水彩画に仕上げたものだ。(紙はワットマンの300グラム:28×38cmだが、今では廃盤になっているという、)
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