先日美濃・尾張に旅行したあひるの仲間たち六羽が西新宿エルタワーの三間堂という京料理屋に集合して、暑気払いの小宴を催した。席上筆者は、旅行中に撮影しCDに焼き付けた写真を皆に配った。その中の何枚かは先日このブログでもアップしたところだ。
そのブログの記事の中から、例の緋色の愛について書いたものを静ちゃんあひるが取り上げて、筆者に苦情を申し立てた。まるで自分がわからず屋のように描かれていて、とても心外だわというのだ。たしかに君はそんなにわからず屋じゃないし、もしそう感じさせるところがあったなら、素直に謝るよ、と筆者は言って静ちゃんあひるの気持ちをやわらげようとした。そんなこともあってか、この日にはそれ以上緋色の愛が話題になることはなかった。
そのかわり男女のセックス、それも年老いた男女のセックスが話題になった。先日84歳で子どもを生ませた男が話題になったが、一体そんなことがありうるのか、ということから始まったのだった。
チャップリンのように70台で子どもを生ませた男は何人も確認されているが、さすがに80過ぎの男については、聞いたことがない。そこで、この男は女にだまされているのではないかという意見も出たが、筆者はそれには組しなかった。理屈から言えば、男は生きている限り男性ホルモンを分泌する可能性を持っており、したがって精子を作り続けることもありえないことではない。
それにしたって、80を過ぎた男のペニスが立つものなのか、まだ60を越して間もない我々には、そこのところが良く分からない。でもなかにはそんな精力絶倫の男がいるかもしれない。筆者だって63歳の今なお毎日朝立ちしているくらいだから、80過ぎまでその勢力を保持できないとも限らない、そういったところ、静ちゃんあひるが筆者をにらみつけて、スケベ爺がなにをいうか、という顔つきをした。
ところで女のほうはどうなんだい。女は閉経後でもセックスを続けられるのかい、と誰かが好色そうな顔つきで言った。だいぶ酒が入って遠慮というものがなくなってきているのだ。
森鴎外の御母堂が灰になるまでやりたいといったように、女だって男並みの性欲は持っている。ただ閉経後の女の性器はしだいに潤いを失って干からびていくから、そのままではペニスを迎えることがむつかしい。そんなことをしたら、膣炎を起こして苦しむことになる。そこで潤滑油を用いる必要が出てくるが、それなりの手当てを施せばかなりの年齢までセックスを楽しむことはできるはずだ。
筆者がざっとこんな意味のことを言ったところ、静ちゃんあひるも表立って反論しなかった。
こんなわけで、今宵はセックス談義に花が咲いた次第だ。人間なおもてセックスを娯しむ、況やあひる族においておや、というわけだ。
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