陽関詞(明月明年何処看)蘇軾

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蘇軾の詩「中秋の月」(壺齋散人注)

  暮雲収尽溢清寒  暮雲収まり尽きて清寒溢る
  銀漢無声転玉盤  銀漢声無く玉盤転ず
  此生此夜不長好  此の生此の夜長へに好からず
  明月明年何処看  明月明年何れの処にか看ん

暮れ方の雲が消え尽きて爽やかな寒気が溢れる、銀河は声もなく流れ月がそこを渉って行く、こんな夜は何時までも続くわけではない、来年は果たしてどこで見ることができるだろうか


熙寧十年(1077)徐州に赴任した蘇軾とともに、弟の蘇轍も従ってきて、徐州に三か月ほど滞在した。その中秋の名月の夜に歌ったのがこの作品である。


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