生かされなかった極秘情報:広島・長崎への原爆投下

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広島・長崎への原爆投下については、これまでは日本軍や日本政府当局が想定していない事態のもとで、不意打ちのような形で起きたとされてきた。ところが、最近のNHKの調査の結果、日本軍はアメリカの原爆開発の動向を十分に察知していたばかりか、原爆投下に先立って、事前にB29の動きを察知していたことまで明らかになった。

NHKが放送した番組は「原爆投下 活かされなかった極秘情報」という。そのなかでNHKは、陸軍参謀本部の一機関「特殊情報部」の動きに焦点をあてていた。この機関は、グアム、テニアン、サイパンなどマリアナ諸島に展開する米軍の動向を監視していたが、米軍の発する暗号を解読する中で、独特の動きをする舞台に注目した。後に広島・長崎に原爆を投下することになる小規模の特殊部隊である。

陸軍はアメリカの原爆開発の動向を十分に知っていた。にもかかわらず、その事実を国民の前に伏せていた。日本において行われた原爆開発が全く進まない状況を前にして、原爆開発を断念するのと併せ、アメリカにおいても原爆の開発は不可能だなどと、自分勝手な理屈をつけて、そのことを合理化しようとしたというのだ。

特殊情報部は、テニアン島の特殊任務部隊の動きを分析するうちに、それが何かどえらい任務を帯びた部隊だと確信するようになった。通常の部隊が数百基規模の大部隊を組んで日本各地の都市を空爆する任務に就いていたのに対して、この舞台は十数機の小規模編成で、不気味な動きばかりしていたのが分かったからだ。

1945年8月6日の未明、この部隊が広島に向かって接近していることを、特殊情報部はつかんだ。原爆投下の約1時間前だった。特殊情報部はそのことをいち早く参謀本部の中枢に伝えた。その時点で参謀本部が広島の司令部に通知し、空襲警報等の措置をとっていたら、或は、原爆災害はもっと軽減されていたかもしれない。ところがなぜか、参謀本部は何もしなかった。かくして広島は無防備な状態のまま原爆の投下を受けた。

この事態を受けて御前会議が開かれたが、参謀本部は広島に投下された爆弾が原爆であることを認めるのをためらった。それまで、アメリカでも原爆の開発は不可能だといってきたことの手前があったからだ。

8月9日には、原爆投下の5時間前に、特殊情報部は米軍特殊任務部隊の動きを察知した。特殊情報部はそのことを、参謀本部の中枢に伝えたが、この時もなぜか、参謀本部は何もしなかった。かくて長崎も全くの無防備の中原爆の投下を受けた。

当時長崎の近くにある大村の航空部隊では、紫電改の部隊が九州防衛の任務に就いていた。もし8月9日の原爆投下前に、その部隊に出撃命令が下されていたならば、無闇に原爆投下を許すようなことはなかったかもしれない、当時大村に配属されていた人はそう語って、いかにも無念そうな表情を見せた。

この人に限らず、当時原爆投下の周辺にいて、生き伸びた人々は、みな一様に痛恨の思いを語っていた。広島に原爆が落とされた時間にたまたま防空壕の中にいて助かった女性は、もし空襲警報が発令されていたならば、自分の同級生たちの多くの命が助かったかもしれないと、痛恨の涙を流しておられた。

番組は最後に、この特殊情報部が戦後証拠隠滅に血眼をあげたことを報じていた。陸軍の指導者たちが、自分らの責任を追及されることを恐れて、そもそもこんな機関が存在したという事実を抹殺しようとしたのだった。

今回NHKが以上のような事実に接することができたのは、すでに高齢になった関係者が重い口を開いてくれたおかげだったという。


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このページは、が2011年8月 8日 20:24に書いたブログ記事です。

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