新宿二丁目で鱧を食う

| コメント(0) | トラックバック(0)

先日伊豆修善寺の温泉につかった湯仲間たちと、新宿二丁目の鱧料理屋で鱧のフルコースを食った。どういうわけか、湯の中で鱧のことが話題に上り、鱧には目がないという山子が是非食わせる店に連れて行けと言い出したのだった。その店は新宿二丁目の一角にある花膳という鱧専門の料理屋で、筆者がつい最近までいたオフィスとは目と鼻の先にある。

その山子は細君を同伴した。細君も鱧には目がないのだそうだ。落子の細君も京女らしく鱧は大好きだそうだが、亭主の社交の場には出づらいという理由で参加しなかった。松子は、鱧は愛好せずといいながら、友達付き合いは大事だからといって参加した。

生ビールで乾杯をすると、山子の細君が筆者に向かって、日頃あなたのブログを楽しく拝見していますわ、などとお世辞を言ってくれた。それはどうもありがとう、老いてのたしなみというか、ボケの防止というか、いづれにしても格好の時間つぶしにはなります。

最近は村上春樹の作品をよく取り上げていますね。ははあ、僕は彼の大ファンなのですよ。世代もほぼ同じだし、感性にも共通するものを感じるんです。でもちょっとエッチなところもありますよね。いや、僕にはそのエッチなところが最大の魅力なんですよ。なんといっても人間、口腹の楽しみとセックスの喜びに勝るものはないというではありませんか。

こんなことを云いながら、筆者は自分が「ぼく」という人称詞を使っていることを意識する。筆者はふつう「ぼく」という言葉はあまり使うことがないのだが、今晩は目の前に女性がいるので、意識して「ぼく」という言葉を使う。筆者は状況に応じて人称代名詞を使い分ける能力も持っているわけなのだ。

思い出せば、筆者は子どもの頃から状況に応じて自分をさす言葉を使い分けてきた。子供時代に最も多く使ったのは「ぼく」だったように思う。学校の先生を相手にしてもそうだったし、両親に対してもそうだった。女の子とはあまり遊ばなかったが、彼女らと話すときにはだいたい「ぼく」といっていた。男の友達にもそういうことが多かったが、悪童の洟垂れどもを相手にするときには「おれ」といった。

学生時代を通じて、「ぼく」と云い続けた。大学生の時には、ほとんど「ぼく」で通した。ところが就職して社会人になると、「わたし」あるいは「わたくし」というようになった。はじめは改まった席でそういうことが多かったが、そのうちあらゆる状況で「わたし」というようになった。それが40歳頃まで続いた。思えば「わたし」という言葉は、自分をさす言葉としては、もっとも自然なのではないだろうか。

40歳を超えたころ、教育関係の仕事に移った。いまでもそうだが、教育関係の人たちはみな、男は「ぼく」といい、女は「わたくし」という。そこで筆者もその慣習に染まって、紺色のブレザーにグレイのスラックスを履き、レジメンタル模様の絹のプリントタイをしめて、再び「ぼくは云々」というようになった。

50歳を超えるころに、土木屋の世界に身を投じた。土木屋たちは「ぼく」とか「わたし」などとは決していわない。みな「俺」という。そこで筆者も「おれ」というようになった。土木屋の世界をやめた後は交通事業者の世界に飛び込んだが、そこでも男たちの殆どは「俺」といっている。そんなわけで筆者は最近、もっぱら自分をさして「おれ」ということが多いのだが、相手がレディだと今晩のように「ぼく」といったり、「わたくし」といったりするのだ。

ところで村上春樹ってなんだかお釜チックだと思いませんか、と山子の細君が言った。顔つきもどこか女形のような感じだし。

そう言われてみれば、そんな感じがしないでもないな、でも彼はゲイじゃないと思うよ。若い頃に結婚した細君といまだに夫婦でいるのがその証拠だよ。こう筆者が言うと、世の中にはバイセクシュアルはいくらでもいるさ、村上だって両刀使いかもしれない、と亭主の山子が口を挿む。だが筆者はその意見には賛成しない。

ゲイといえば、この新宿二丁目という街は、ゲイの天国なんだ。夜中の12時頃にこの街を歩いてごらんよ、いたるところゲイのカップルが抱き合っているし、中には痴話喧嘩をして、口から血を噴き出しているのもいる。筆者は自分自身の体験談をまじえながら、この街の雰囲気を語って聞かせる。

肝心な鱧料理の方は、手を変え品を変え、次々と出されてきた。鱧の湯引き、鱧の茶わん蒸し、鱧の刺身、鱧の天ぷら、鱧の煮もの、鱧の焼物といった具合だ。ビールのあとはフグの鰭酒に変えて、出てくる鱧料理に舌鼓をうった。鱧好きの山子夫妻はとりわけご機嫌だ。

村上春樹論を卒業すると、さまざまな話題を行ったり来たりした。山子は最近東北の被災地を車で見て来たと話した。津波の足跡を目の前にするのは不思議な感じだったといった。津波の到達した限界を境に、破壊と正常とが厳粛なコントラストを呈しているのだそうだ。

松子は毎週一度大学に通う傍ら、週末には細君とともに関東界隈の温泉巡りを楽しんでいるそうだ。自分は安くてサービスのよい旅館を探すのが得意だから、今日かかるほどの費用があれば一泊の温泉旅行が楽しめるよ、と自慢そうに言った。

落子は難しい相談事にもようやく慣れ、いまでは人の心を隈なく見とおすことができるようになったという。また先日は地元の山岳部の連中と一緒に富士登山をしたそうだ。そうしたら上りの途中で片方の靴底がはがれ、下りの途中でもう片方の靴底がはがれたという。靴底がはがれたら、裸足で歩いたのかい、と筆者は心配になって尋ねたが、そこはなんとか、だましだまし使ったという返事が返ってきた。それにしても要領を得ない。筆者の疑問は晴れず仕舞いで終わってしまった。

また、ひょんな拍子から、自分の親との関係が話題にのぼった。山子は母親とはあまり親密になれなかったといった。恐らく母親が高齢で自分を産んだことが影響しているのだろう。母親は自分にあまり期待しなかったし、自分も母親に甘えるようなことはなかったと。

ぼくはそうじゃなかったな、と筆者はいった。ぼくは母親とは仲がよかったし、小さい頃はいつも母親の尻を追いかけまわしていたように覚えている。僕の母親は普段和服を着ていたので、ブリキの太鼓のオスカーのように、母親のスカートにもぐり込むようなことはできなかったけれど、母親の後ろ姿が見えると、いつもそのお尻に向かって突進していったものだ。ぼくは今でも、和服を着た中年女性のお尻を見ると、妙にノスタルジックな感情を抱くんだ。

筆者がこういうと、それはお前が母親と年が離れていないからだよ、と山子がいった。

こんな調子で、うまいものを食いながら、濃厚なひと時を過ごすことができた。最後には冷や飯の雑炊が出てきた。我々は、普通の冷酒を飲み直しながら、冷たい雑炊を食った次第だった。





≪ コース料理と弁当:食事のマナーをめぐって | 旅とグルメ | 豊穣たる熟女たちと新橋のガード下を覗く ≫

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://blog.hix05.com/cgi/mt/mt-tb.cgi/3420

コメントする



アーカイブ

Powered by Movable Type 4.24-ja

本日
昨日

この記事について

このページは、が2011年8月28日 20:46に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「避難者帰宅の見通しと汚染土壌の貯蔵問題:菅総理の置き土産」です。

次のブログ記事は「二匹の猿:ブリューゲルの世界」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。