「脱原発」に展望はないか? 読売のナンセンス

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筆者は先にTPP問題についての読売の9月6日付け社説を取り上げ、そのナンセンス振りを批判した。天下の公器と呼ばれるもののいうことではないと。ところが翌日の社説は、輪をかけたようにナンセンスなものだった。一体この新聞社には、コモンセンスを持ち合わせた記者が存在しないのではないか、そんな風に思わせるほどだ。

社説はエネルギー政策を取り上げ、「展望なき<脱原発>と決別を」と題している。菅前首相が打ち出した脱原発政策から決別し、原子力を引き続き国のエネルギー政策の中に位置づけろという主張だ。

読売がこんなことを社説で主張する背景には、野田首相が、「就任記者会見で、原発新設を<現実的に困難>とし、寿命がきた原子炉は廃炉にすると述べ・・・これについて鉢呂経済産業相は、報道各社のインタビューで、将来は基本的に<原発ゼロ>になるとの見通しを示した」事情が働いているらしい。

つまり、このまま手をこまねいていると、国民の原子力への不安感情に流されて、脱原発が国是として定着しかねない、読売にはこんな不安があるらしい。

読売が原子力政策を進めるべきだと主張している理由は、とても国民を納得させられるものではない。読売は、原発に替るエネルギーは今のところ他には考えられないというようなことを言っているが、どんな根拠でそういうのか、明らかにしていない。

たとえば再生エネルギーについて、現状では1パーセント未満のシェアしかないことをあげて、今後もそんなものには期待すべきでないというような言い方をしているが、それは誠意のある言い方ではない。ドイツを例に挙げれば、2000年からの10年間で、再生エネルギーのシェアを17パーセントまで高めてきた経緯もある。日本でも、原子力エネルギーにかわる新しいエネルギーとして期待することができる相応な理由がある。

原子力エネルギーをめぐる根本的な問題は、日本人の未来にわたっての生存可能性という重要な問題に、原発がどのようにかかわっていけるのかということだろう。つまり、原発は日本人の安全な生活と両立できるのか、という問題だ。

3.11を経験した日本人は、今の体制のままでは、自分たちの安全は絶対に保障されないのだということを学んだ。だから、原発の再開を主張するものは、日本人の安全をめぐる不安に正面から向き合い、その不安を取り除く必要がある。

それをしないで、やれ電力不足が深刻になるとか、原子力産業の育成がパアになるとか、日本経済が空洞化するとか、そんな理由を持ち出して、原発の安易な再開を主張するものは、3.11から何も学ばなかったものだといわねばならない。そういう人間は、時計の針を3.11以前に戻せといっているに過ぎない。

筆者にしたって、原発を無条件に停止せよというわけではない。再開させるためには、国民が十分に納得できるような議論のプロセスが必要だといっているだけだ。その議論とは、日本人の安全な未来ということに尽きる。

読売の社説は、そうした議論を省いて、ただただ脱原発論者を誹謗しているに過ぎない。とてもコモンセンスをもった人間のやることではない。ナンセンスそのものだ。


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