宮崎県の深い山奥に今でも焼畑を行っている人がいるという。椎葉クニ子さんといって、87歳の女性がひとりで焼畑の伝統を守っているのだそうだ。その様子を紹介したNHKの番組を見て、筆者はいたく感動した。題して「クニ子おばばと不思議の森」
日本の焼き畑農業は昭和20年代までは各地で行われていたが、いまではクニ子おばばのほかに行っているものはない。4000年前の縄文時代から延々と受け継がれてきたのであったが、クニ子おばばを最後に消滅しようとしている。その最後の営みを、番組は現代の日本に生きる我々に紹介し、日本人と自然とのかかわり方について、改めて考えさせてくれたわけである。
日本の焼畑は山全体を一時に焼いてしまうような略奪的なやり方ではない。一部を焼き4年ほどそこで収穫したら放置してまたもとの山に戻す。次の年には、別の部分を焼いて同じことをする。それを順番に繰り返して、30年ほどでサイクルを一巡させる。こうすることで、全体としての山は、いつまでも若々しさを保つ。自然を残しながら、その恵みを頂戴するという、日本農業の原点ともいうべき思想が、焼畑農業の中には確立されていたわけだ。
クニ子おばばが山に火を放つのは毎年8月だ。山鳩が「オヤーオ、ヤーオ」と鳴くのが合図だ。この声を聴くと、おばばは山の神に伺いを立て、木の肌に耳をあてて水の流れる音を確認する。水の音がおばばに「倒してもいいよ」とささやく。そこでおばばは初めて,木を切り倒し、山に火を放つのだ。
火を放つ場所は、山火事にならないように綿密に計算して選ばれる。火は上から下へと燃え広がる。燃え終わった後には雨が降る。おばばはこうした自然のリズムを見透かしながら、焼畑をしていくのだ。
燃え尽きた後には膨大な灰が残る、その灰を糧にして草木の芽が勢い良く伸びる。おばばはそこにそばの種をまく。その種からも勢い良く芽が出てきて、10月には収穫できる。そのそばの実を食べながら、おばばは今まで命をつないできたのだ。
火入れから30年たつと、その後にはクヌギ、ナラ、シデなどの木が生えて大きくなる。地元の人々は昔から、これらの木の下に埋葬されてきた。その木は焼かれ、そのあとにまた新しい木が生える。
彼らは死んで木になるのだ。だからおばばの焼畑には、先祖たちの霊魂が宿っている。おばばはそんな先祖たちに加護されながら、焼畑で生き続けてこられたのだ。
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