ゴッホは37歳のときにパリ近郊のオヴェール・シュル・オワーズ(Auvers sur Oise)の小麦畑でスケッチをしている最中、拳銃で自分の胸を撃って自殺したということにされてきた。ゴッホ自身が死の床でそう語ったというのが有力な根拠だ。だが自殺にしては不自然なことが多い。弾痕の角度、用いた拳銃やスケッチ道具が発見されなかったことなど。そこで他殺説もささやかれてはいたのだが、このたび他殺を裏付ける有力な証拠が提出された。
ゴッホ他殺説を唱えたのは、ピュリッツァー賞作家のスティーブン・ネイファー(Steven Naifeh)氏とグレゴリー・ホワイト・スミス(Gregory White Smith)氏。二人は共同執筆したゴッホの伝記の中で、ゴッホは現地に住む二人の少年によって、意図的にか、偶発的にか、拳銃で撃たれ、その傷がもとで死んだと主張したのだ。
二人は、ルネ・スクレタンというフランス人の実業家が1956年に行ったインタヴューに注目した。このインタヴューの中で、この実業家は、子どもの頃にゴッホと知り合いになり、弟と二人で、ゴッホに対してあくどいいたずらを重ねていたことを白状した。彼らは、自分たちが直接ゴッホを撃ったとはいってないが、ゴッホが撃たれた当日に拳銃を持っていたことは認めた。こうした事実をもとに、二人はこの少年たちが、ゴッホを撃ったのではないかと推論したわけだ。
だがゴッホは不本意に撃たれたのでもないようだ、と二人は推測する。二人がやってくる前に、ゴッホは癲癇の発作を起こし、それがもとで怪我をしていたのではないか。そこへ少年たちが通りかかった。ゴッホはもしかしたら、少年たちに自分を撃ってくれと頼んだ可能性もある。晩年のゴッホには常に自殺願望があったからだ。このように推理は続いていく。
ゴッホは、瀕死の状態で病院に運ばれたのち、警察官らの事情聴取にたいして、自分は自殺しようとして、自分自身に弾丸を撃ち込んだのだと説明した。しかしその説明には、不自然なところがあまりに多すぎた。その結果、ゴッホの死には何か隠された事情があったのではないか、こんな憶測がはびこってきた。
今回の二人の研究は、そうした謎に一定の解決をもたらそうとする努力のひとつだといえる。
ゴッホ美術館のヤンセン館長は、二人の提出した仮設は興味深いが、決定的な証拠にかけているといって、俄かには同意できないといっている。
(参考)Steven Naifeh and Gregory White Smith, "Van Gogh, The Life,"
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