社会主義経済は何故破たんしたか:戦後世界経済史から

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ソ連(ロシア)に社会主義政権が誕生するのは1917年のことだが、社会主義経済システムが本格的に動き始めるのはスターリンによる第一次5か年計画(1928年)の成果が出始める30年代以降のことである。30年代と云えば、アメリカの大恐慌を契機に世界中が不景気になっていた時期だ。そういう時期に、ソ連は五か年計画がうまく働いたこともあって、資本主義国のように恐慌に苦しまずに済んだ。そこを社会主義経済の優位性の現れだなどと大いに自慢したものだったが、その後の進展はむしろ、社会主義経済の弱点を痛感させるようなことばかりが起こる。

第二次世界大戦は、ソ連に膨大な人的・物的被害をもたらした。人命の損失は2000万から2600万、農地や重化学工業設備の多くが破壊され、国富の三分の一が失われたといわれる。

スターリンは戦後すぐさま1946年に第4次5か年計画を発表した。この計画は従来どおり重化学工業軍事技術の発展をめざすものであり、また原子力開発を重視していた。

ソ連経済はもともと、農業の不振や国民生活に関連の深い部門の不振がある一方、国威発揚のための科学技術の開発ではアメリカをしのぐほどの勢いがあるといった奇妙な「アンバランス」の上に成り立っていた。

冷戦期にはこのアンバランスが是正されることはなかった。農業生産はますます縮小し、もともとは豊かな穀倉地帯だったはずのロシアを、深刻な食糧不足が襲った。そのため、アメリカから小麦を輸入せざるを得ないという屈辱的な事態までおこり、悪いことには、その決済をドルではなく、現物の金塊で行うといった無様な事態にも追いやられた。

ソ連の農業が不振だったわけは、ソフホーズやコルホーズといった集団農業のあり方にあった。農民は自分のものではない農地を喜びをもって耕すことができなかったのだ。

フルシチョフの改革によって、農地の一部が農民に与えられたが、その結果起きたことと云えば、わずか3パーセントに過ぎない私有地農業が、ソ連全体のミルクの20パーセント、肉の30パーセント、果実や野菜の殆どを生産するといった事態だった。多くの農民は自分の労働の成果が直接現れる私有地の工作に全力を注ぎ、共有地には労力を省いたのである。

重化学工業の分野でも、ソ連の実力は十分とは言えなかった。ポーランドや東ドイツと云った社会主義経済圏の諸国との間で、ソ連は石油や小麦などの一次産品を輸出し、かわって工業製品を輸入するといったサイクルに取り込まれていた。社会主義経済の盟主とはいっても、東欧の進んだ経済の後塵を拝するような位置にいたのである。

ソ連の経済はフルシチョフ以降も思うように改善せず、状況はますますひどくなっていった。1980年代に入ると食料などの日常生活製品は極度に不足し、どのスーパーマーケットにも長蛇の列が生まれた。

工業製品の方も、十分と云うわけではなかった。必要性が低いものばかりが生産され、人々の生活の改善につながるようなものが生産されない、こういう事態が慢性化したのだ。

ソ連が最終的に打倒されたのは、民主化を求める政治的な動きということになっているが、それと並んで、あるいはそれ以上に、経済システムのマヒが市民の生活の悪化をもたらし、それが市民の不満を増大させたという側面もある。

猪木武徳氏は、その原因を、ソ連型の社会主義経済が市場を無視して成り立っていたことに求めている。

猪木氏はいう。「紙一重の差によって勝敗が決まる経済競争にとって重要なのは、現場の人間が有する具体的・個別的な知識なのである。社会主義計画経済では、この種の知識を収集・管理することができない・・・価格は各経済主体が知る必要のない個々の事象を捨象して、意思決定にとって必要かつ十分な情報を圧縮したかたちで提供する。社会主義計画経済はこの価格の担う重要な役割への理解が欠如していたことに、致命的欠陥があったといえよう」

社会主義計画経済では、資源の配分や価格や賃金の決定は市場ではなく、計画担当者が決める。その結果「経済問題が即、政治問題となり、誰の利益が重要であり、誰がその問題の解決に強い力を持っているのかが最大の関心事となる」

一般に社会主義経済は「進んだ先行経済へのキャッチアップの段階ではある程度の成功を収め得るが、それ以外は停滞に苦しむことが多い」

これが社会主義計画経済に関しての、氏の包括的な見解である。






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このページは、が2011年12月 9日 19:07に書いたブログ記事です。

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