問われる危機管理:原発事故調の中間報告

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福島第一原発の事故についての政府の調査・検証委員会が、中間報告を発表した。政府や東電が津波による過酷事故を想定せず対策が甘かったばかりか、事故発生後の対応も不十分で事故を拡大させた可能性が高いほか、周辺住民や国民への情報提供も問題を抱えていたとするもので、極めてシビアな内容となっている。

先日は東京電力による社内調査委員会が、この事故を「想定外の津波による」もので、「異常に巨大な天変地災」にあたり、「国と一体で安全確保に取り組んできたが、結果として足りなかった」と過去の努力を強調することで、一定の免責を求めていたが、今回の報告書はそれを、「特異な事態だったからという弁明ではすまない」と批判した。

また、政府に対しても、この事故を全体的な視野から眺め、計画的に対応していくという姿勢に欠けていた、そのことが事故を拡大させた可能性もあるとして、その危機管理能力に疑問を呈した。

報告が指摘した問題点を、朝日新聞の情報をもとに整理すると、次の通りだ。

まず、過酷事故への対策が不十分だったこと。津波のリスクが十分に認識されておらず、全電源喪失や緊急時対応が不十分で、地震や津波などの複合災害を想定していなかった。

つぎに、現場の事故対応に問題があった。1号機の非常用復水器が機能不全に陥っているのを運転員が気づかず、3号機では消防車を使うなどの代替注水への必要性や緊急性の認識が欠如していた。

そして被害拡大防止にも問題があった。原発から5キロ先にあるオフサイトセンターが機能せず、SPEEDIシステムを住民避難に活用できなかった。

過酷事故への対策が十分でなかったことの背景に原発安全神話があったことは間違いない。想定外と云う言葉は、自分の能力の限界を合理化するときに用いられるが、今回は報告書がいうように、決して想定外で済ませられるものではなく、当然なされるべきことがなされていなかったために起きたことだ。それは東電がいうような天災ではなく、人災だ、こういうメッセージがあらためて伝わってくる。

事故発生後の現場の対応のまずさは、情けなくなるようなしろものだ。1号機の復水器をめぐる問題は、現場の運転員が自分の取り組んでいる機械を十分に理解していなかったことを物語っている。運転方法を知らない人間に、運転のミスを矯正できるわけがない。また3号機では、消防車へ給水するための装置の所在が分からなかったというから、話にもならない。東電は日頃から事故を想定した訓練や準備を全く怠ってきた、といわれてもしょうがない。

SPEEDIシステムは、こうした事故の時に放射能がどのように拡散していくかについて、シミュレーションできるシステムであり、住民の避難にとって貴重な情報が期待できたはずだ。ところが、これが全く活用されていなかった。その結果住民は安全に非難するうえで、非常に危険な立場に立たされた。

この問題は政府側に主な原因がある。政府は事故後菅総理をはじめとした官邸の対策本部と、その下に各省の実務家を中心にした危機管理センターを設けて、事故対策の中枢とした。ところが、官邸と対策本部との意思疎通が十分でなく、結果的にミスリードが目立った。SPEEDIにかんする報告が官邸に正しく伝わらなかったのはその象徴的な出来事だった。

保安院の姿勢にも問題があった。東電へ職員を派遣せず、東電の持っていた情報交換システムへの参加も考慮しなかった。きわめて受け身の姿勢が目立つ。その結果政府側と東電とがばらばらに動くような形になった。菅総理が直接東電に乗り込んで、社長らを面罵するなどの感情的な態度をとったことも、政府と東電との一体的な対応の妨げになった。

こんな具合に、この報告書は政府に対しても歯に衣着せぬ率直な物言いをしている。

この報告書をまとめた委員会の委員長は、失敗学の研究で知られる畑村洋太郎氏だ。氏は大きな失敗の影には小さな失敗があるという考えから、どんな失敗をも見逃さずに検討し、その総体を明らかにすることで、再び大きな失敗が起こるのを防ごうという立場をとっている。

今回の失敗についていえば、安全神話によりかかった意識のマヒ、現場における教育訓練体制の欠如、そして政府をはじめ事故対応にあたる集団の危機意識の薄さ、こうしたことが相乗効果を及ぼしてこんな事態になったのだろう、と改めて感じさせられる。日本と云う国の危機管理が問われているのだと。(写真は畑村委員長と<左>と野田総理<中>:朝日新聞から)





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このページは、が2011年12月27日 19:01に書いたブログ記事です。

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