ガレキに立つ黄色いハンカチ:震災に向き合う山田洋二監督

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NHKのドキュメンタリー「ガレキに立つ黄色いハンカチ」を見た。映画監督山田洋二さんの東日本大震災と向き合う姿を追ったものだ。倍賞千恵子さんや吉永小百合さんなど山田監督とつながりの深い人々も出てきて、それぞれの立場から震災に向き合い、被災した人々を励ましていた。

あの震災が起こったとき、山田監督は一本の映画を完成させようとしていた。「東京家族」と題し、人間や家族の絆を描いたものだ。小津安二郎監督の名作「東京物語」にインスピレーションを得たという。小津監督が、彼が生きた戦後日本とそこに生きていた人々の姿を映画に残したように、山田監督も、監督が生きている現在の日本とそこに生きている人々の姿を描いておきたかったのだという。

しかし監督はこの映画の制作を中断することにした。もしこのまま映画を完成させて上映したならば、その映画は東日本大震災を反映したものには当然ならない。この震災のおこった後に上映されたにもかかわらず、映画はそんな震災などなかったかの如く素通りしてしまうことになる。それが監督の良心には耐えられなかった。いったん取りやめたうえで、もう一度、震災を踏まえたうえで映画を作り直そう、監督はそう考えたのだ。

監督は被災地を巡り歩きながら、被災した人々を励まし続け、また人々と語り合うことを通じて、人間の心のありようについて考え続けた。そのうちに、陸前高田市の瓦礫の山の一角に、あの幸せの黄色いハンカチと同じものが立てられていると知った。被災者の一人菅野啓裕さんが、辛い状況の中であの映画を思い起こし、「とおい、とおい、かすかなきぼう」を込めて、その旗を立てたのだった。

感銘を受けた監督は、映画に使ったのと同じものを携えて、菅野さんを訪ねた。菅野さんはそれを自分の立てた旗の隣に建てた。映画の中で、夕張の炭鉱地帯の一角に立っていた黄色いハンカチの旗は、いまや被災地の一角にはためくことにより、ひとびとに、とおくてかすかでも、あたたかい希望を送り届けるだろう。

倍賞さんは寅さん映画の上映会をおこないながら被災地を巡り歩き、被災した人々を励ました。辛い目にあってうなだれている人々に向かって、倍賞さんはこういうのだ。

「わたしががんばるから、(みんなは)がんばらなくっていいよ」

被災者の痛みを自分の痛みとして受け止め、被災者に仲間として寄り添う倍賞さんの姿勢が、伝わってくる言葉だった。

吉永さんも、チャリティをはじめ自分なりの支援活動を行ってきた。彼女は今こそ「家族の絆」が大事なのだと痛切に感じていると、山田監督に語った。

山田監督は、今年の3月に上映することを目標にして、この震災を踏まえた日本の今とそこに生きる人々の姿を、あらためて描いてみたいという。そこにはいまの時代の日本の、家族の姿とそれの抱える様々な問題が、込められているに違いない。





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このページは、が2012年1月 3日 20:27に書いたブログ記事です。

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