中国の農業改革

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毛沢東の夢見た農村の姿はソ連の集団主義的な農業モデルを参考にしたものだった。コルホーズやソフホーズを手本にして、中国型集団農場が設立された。200-300戸の農家を単位として農業合作社と云うものが作られ、いくつかの農業合作社を合わせて2000-3000戸からなる人民公社が設立された。人民公社は農業生産の単位としては無論、農村における基礎的行政単位としても機能し、それこそ農民生活のすべてをカバーするものになった。

人民公社は毛沢東にとって、地上の楽園、つまり社会主義社会のあるべき姿を示すモデルのはずだった。そこでは人々は、自分の能力に応じて働き、自分の必要に応じて得ることができるはずだった。だが現実は厳しかった。農業生産性はなかなか上がらず、むしろ生産性が極端に低くなって、人々は飢餓に追い込まれるしまつだった。

そのうえ中国独自の戸籍制度によって、農村の人々は農村戸籍に縛り付けられ、実質的に農村で暮らすことを強要された。移動の自由は認められたが、職業選択の自由は事実上なかった。毛沢東は、そうすることで農民を農村に固定し、食料の計画生産を可能にしようと意図したのだ。

人民公社の壮大な実験は結局、毛沢東の思惑通りには機能しなかったわけだ。1959年には1500万人の餓死者が出る程深刻な食糧危機に見舞われた。60年代の半ばにはやや生産性の増加がみられたが、文化大革命のあらしの中で、農業生産性は再び低迷した。

1978年に始まった改革開放政策は、農業部門をも変えていった。そのプロセスを加藤弘之氏の論文「農村はいかに変化したか」(中国経済入門所収)によってたどってみよう。

人民公社が解体され郷鎮政府が復活した。そしてこの郷鎮政府を対象にして請負生産性が導入された。農家経営請負制と呼ばれるこの制度は、すべての生産物を低い公定価格で強制的に買い上げられるのと異なって、あらかじめ割り当てられた量を政府に収め、かつ農業税その他の公課を支払えば、残余については自由な処分を認めるというものである。

この政策の結果、農業生産性が急速に高まった。改革開放のスタート年1978年の一人当たり食糧生産量が318キログラムだったものが、1996年には414キログラムにまで増えた。これは中国の国内消費量を賄うに足る数字である。

農業生産物の種類も多様化した。郷鎮政府は、食料市場の動向を見極めながら、自分の意思で生産計画を立てることができるようになり、いきおい生産物も多様化した。

郷鎮政府は農業の生産単位であるとともに、工業生産の基礎的単位としても実力を高めていった。郷鎮政府が経営する企業は郷鎮企業と云われた。

郷鎮企業は農産物の加工のほか、衣料・縫製から機械部品まで多種多様な製品を製造する中小企業として、中国の工業発展を担ってきた。こうしたことが可能であったのは、郷鎮企業が農村内に存在する余剰人的資源の受皿として機能したことも作用している。

中国は2001年12月にWTOに加盟したが、その結果農業にも一定の影響が及んだ。主要穀物については、しばらくの間は輸入割当制度をとってきたが、それでも輸入品に押されて売れ残る国産穀物が増えている。最も深刻なのは東北地方のトウモロコシ栽培で、ほとんど崩壊に近い状態に追い込まれた。

今日の中国農業は、二つの大きな問題を抱えている。ひとつは戸籍制度の改革であり、ひとつは土地の流動化である。

農村戸籍の制度は、農民を土地に縛り付ける効果を持つ。農民が都市に出ることは可能であるが、都市に出ても農民の身分であることには変わりがないため、都市の住民を対象にした様々な制度からはみ出さざるを得ない。その結果社会保障や子育てと云った基本的なことで差別待遇をうけることになる。最近各地で爆発している農民工の反乱は、この矛盾を反映したものである。

今後社会的な差別とそれをもとにした格差を解消していくうえで、戸籍制度の改革は避けて通れないだろう。

農業の基盤である土地はいまでも基本的には公有制をとっている。農村地域における土地の主な所有主体は郷鎮政府である。郷鎮政府は個々の農民に土地を貸し出し、農民の方は請負方式で剰余の生産物を自分の意思で処分するといった構図だ。

ところが都市化が進むにつれて、農地の工業用地への転用や道路などの社会資本整備のために農地が収用される事例が増えている。その過程で、郷鎮政府の役人による腐敗が生じている。先般広東省のウーカンでおこった農民暴動などは、その典型的な構図を物語るものである。

中国にとって目下最大の課題は、いかにして農村と都市との格差を埋めるかということであろう。


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このページは、が2012年1月 7日 18:56に書いたブログ記事です。

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