ホーキング博士、自らの生涯を語る

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現代に生きる我々にとって、画期的な世界像を作るうえで大きな役割を果たしたホーキング博士が、70歳の誕生日を祝ってくれたケンブリッジの仲間たちに、スピーチを寄せた。博士自身は健康状態がすぐれなくて、お祝いのパーティに出席することができなかったのだ。

そのスピーチの中で博士は、子供時代から今日までの、自分の生涯について語った。

博士が初めて文字を習ったのは8歳の時だった。小学生時代は勉強が好きな方ではなく、成績はあまりぱっとしなかった。でもクラスメートは彼にアインシュタインというあだ名をつけてくれた。もっとも彼の才能がみんなに認められたわけではなかった、彼はアインシュタインのようなえらい学者どころか、たいした人物にはなれないだろうと、かけの対象になったほどだった。

博士はオックスフォード大学で物理学を専攻したが、あいかわらず勉強にさく時間は少なかった。学部の3年間を通じて、平均して一日1時間ほどだったという。

博士は21歳の時に筋萎縮性側索硬化症という病気にかかった。それは突然訪れて、瞬く間に進行した。その時博士は大学の博士課程に進んでいたが、いつまで生きながらえることができるかわからぬのに、研究をしても無駄ではないかと、自暴自棄に陥ることもあったが、後に配偶者となる女性ジェーンに励まされて研究生活を続けることにした。

自分の人生を振り返ったあとで博士は、仲間たちにむけてメッセージを贈った。「つねに好奇心を持ち続けていよう、決してあきらめてはならない。そして自分の足元を見るのではなく、頭を持ち上げて星空を見つめよう」

スピーチの最後のところで、この40年の間に我々人類の世界像は大きく変わったが、自分がその研究の一端を担うことができて、とても幸せに感じているというと、参加者たちはいっせいに立ち上がって、スタンディング・オベーションをささげたという。

参加者の中には、著名な物理学者が多く含まれていたが、変わり種として、ヴァージン・グループの創始者リチャード・ブランソンの姿もあった。彼は開発中の民間衛星を今年中には完成させ、是非博士を宇宙に行かせてあげたいと語ったそうだ。自分の目で宇宙を見ること、それが博士の積年の希望だったのだ。(写真は Guardian から)





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このページは、が2012年1月11日 19:11に書いたブログ記事です。

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