キャリバン(Caliban)はシェイクスピアが創造したキャラクターのなかでも最もユニークなものだ。登場人物のリストの中で、彼は「野蛮で奇形の奴隷」というふうに紹介されている。つまり人間の形をしているのではなく、グロテスクな形をした怪物のイメージで包まれているのである。
キャリバンを始めてみたステファーノは4本足の化け物だといい、トリンキュロは魚と化け物のあいの子だといっている。頭は魚で、鰭が手足のように伸び出ているのだろう。ヒエロニムス・ボスの絵に出てくる魚の怪物を思い浮かべれば、近いイメージが得られると思う。
キャリバンは魔女シコラコスが魔物とまぐわいして生んだということになっている。彼らはもともとこの島の原住民であり、この島の主人だったのである。ところがプロスペロがやってきて、彼らを魔法の力でねじ伏せ、この島を簒奪したのだ。
キャリバン:この島は俺のものだ
おふくろのシコラコスが残してくれたものを
お前が横取りしたんだ
CALIBAN :This island's mine, by Sycorax my mother,
Which thou takest from me.(1.2)
ここには、キャリバンは島の原住民、プロスペロは外部からやってきて乗っ取った侵略者という対立が設定されている。いいかえれば、キャリバンは文明が成立する以前の野蛮、プロスペロはそこに文明の光を持ち込んだものということになる。キャリバンと云う名は、人肉食いを意味するcanibal という言葉をもじったものだ。プロスペロの方には文明による繁栄を象徴させているのだろう。
ここからもうかがえるように、これは野蛮と文明との中世的な対立図式を反映したものだ。中世的な世界観にあっては、聖と俗、生と死、高貴と下賤、内側と外側と云ったように、あらゆるものが対立の相のもとにとらえられるとともに、その融合によって混沌が生じ、世界が死と再生を繰り返していくという考えが抱かれていた。キャリバンとプロスペロの対立は、こうした図式を反映したものだ。
それ故、この劇においては、プロスペロとキャリバンとの対立が根本テーマなのだといえる。嵐による遭難や、プロスペロの復讐と云ったテーマは副次的なものでしかない。
キャリバンは野蛮の象徴だが、プロスペロによって言葉を教えてもらう。
キャリバン:お前はおれに言葉を教えてくれた
その言葉でいってやる てめえなんかくたばれ、と
言葉を教えてくれたお返しだ
CALIBAN:You taught me language; and my profit on't
Is, I know how to curse. The red plague rid you
For learning me your language!
言葉は文明のシンボルだ。野蛮状態にあったキャリバンにとってはしたがって言葉は存在しなかった。キャリバンには言葉を覚えたことで、何かが変化しただろうか。いや何も変化しない。せいぜい忌々しさを言葉にこめて、相手をののしることができるようになったくらいだ。
キャリバンは自分がプロスペロによって支配されているのが我慢できないのだ。そこで、ステファーノとトリンキュロをそそのかしてクーデタを起こし、プロスペロを島から追放しようと企てる。しかしその企ては成功しない。ステファーノもトリンキュロもそんなに気の利いた人間ではないからだ。そんな連中をあてにせざるを得ないところに、キャリバンの弱さがある。
その弱さが優しい気持ちとして現れる場面がある。姿の見えないアリエルが奏でる音楽をステファーノとトリンキュロが怖がるのを、なだめながらこういうのだ。
キャリバン:こわがることはねえ、この島にはざわめきや
音楽や歌声が満ちているが 楽しいばかりで害はない
時にはすげえ数の楽器が耳元でうなったり
時には歌声が聞こえたりして
長い眠りから目覚めた後でも
またうっとりとして寝入ってしまうんだ
そして夢の中で
雲が切れてその間から宝物が
いまにも自分の上に落ちてきそうな気がする
だから一旦目覚めても また夢を見たくなるのさ
CALIBAN:Be not afeard; the isle is full of noises,
Sounds and sweet airs, that give delight and hurt not.
Sometimes a thousand twangling instruments
Will hum about mine ears, and sometime voices
That, if I then had waked after long sleep,
Will make me sleep again: and then, in dreaming,
The clouds methought would open and show riches
Ready to drop upon me that, when I waked,
I cried to dream again.
これは文明に汚染されていない原始の状態を夢見たものだ。アリエルもまたキャリバンとともにそうした原始の状態を象徴している。アリエルはプロスペロの召使いではあるが、野生を引きずっているという点では、キャリバンと共通したところに立っているのだ。
関連サイト: シェイクスピア劇のハイライト
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