漁父:蘇軾を読む

| コメント(0) | トラックバック(0)

蘇軾の詞「漁父」(壺齋散人注)

  (其一)
  漁父飲 誰家去  漁父飲んで 誰が家にか去(ゆ)く
  魚蟹一時分付   魚蟹 一時に分付す
  酒無多少醉為期  酒は多少と無く 醉ふを期と為す
  彼此 不論錢數   彼此 錢の數を論ぜず

  漁父醉 簑衣舞  漁父醉ひて 簑衣にして舞ふ
  醉裡卻尋歸路   醉裡にも 卻って歸路を尋ぬ
  輕舟短棹任橫斜  輕舟短棹 橫斜するに任せ 
  醒後不知何處   醒後 何れの處なるを知らず

漁父は酒を飲みに誰の家に行くのか、とったばかりの魚やカニを持参して分け与える、酒の量の如何にかかわらず必ず酔う、かれこれ銭のことをいったりはしない

漁父は醉って蓑を着たまま舞う、酔ってはいても帰りの道は忘れぬ、小舟に掉さして揺れるにまかせ、覚めたときにはどこにいることやら


(其二)
  漁父醒 春江午  漁父醒めて 春江午なり
  夢斷落花飛絮   夢斷えて落花飛絮
  酒醒還醉醉還醒  酒醒めては還た醉ひ 醉ひては還た醒む
  一笑人間今古   一笑す 人間の今古

  漁父笑 輕鷗舉  漁父笑ひて 輕鷗舉がる
  漠漠一江風雨   漠漠たり 一江の風雨
  江邊騎馬是官人  江邊の騎馬は是れ官人
  借我孤舟南渡   我が孤舟を借りて南へ渡る

漁父が酔いから醒めると春江は昼下がり、夢はさめて落花飛絮、酔いが醒めればまた飲み、酔ってはまた醒める、人間の一生などつまらぬものだ

漁父が笑うとカモメが舞い上がる、果てしなくも河一面の風雨、岸辺にいる騎馬の人はお役人だ、わしの小舟で南へ行きたいとおっしゃる


常州に隠居生活を送りながら書いた詞、詞とはフシをつけて歌うためのものだ、繰り返しが多いのは、歌いやすいようにする工夫と思われる


関連記事:漢詩と中国文化蘇軾





≪ 渓陰堂:蘇軾を読む | 漢詩と中国文化 | 贈王寂(靑山斷ゆる處是れ君が家):蘇軾を読む ≫

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://blog.hix05.com/cgi/mt/mt-tb.cgi/3806

コメントする



アーカイブ

Powered by Movable Type 4.24-ja

本日
昨日

この記事について

このページは、が2012年2月 8日 18:21に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「ジサイチョウ(Ground Hornbill)」です。

次のブログ記事は「蛙の腹を抱えて:大腸内視鏡検査を受ける」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。