上の写真は24歳のマリリン・モンローを写したもの。ライフ誌が保存していた膨大な映像データの一部だ。おおらかで、まだあどけなさが残っている表情だが、そのあどけなさのゆえに、この写真はお蔵入りしたのだと思われる。
というのも、マリリン・モンローはアメリカ人にとってセックス・ゴッデスなのだ。ゴッデス(女神)であるから、完璧にセクシーでなければならない。乙女のようにあどけない表情は、セックス・ゴッデスには相応しくない、と云うわけなのだろう。
戦後のハリウッドにあって、マリリン・モンローはオードリー・ヘップバーンとならぶ大女優だった。オードリーが清潔でかつ円熟した女性をイメージさせるとすれば、マリリンのほうはあくまでもセクシーでなければならなかった。
でもマリリンの少女らしさもなかなか魅力がある。それ故、「ティファニーで朝食を」が映画化されるにあたって、原作者のトルーマン・カポーティはマリリンにホリー役をしてほしいと願ったのだった。カポーティはマリリンの少女らしさに魅惑されていたのだろう。しかしその時にはマリリンが出るのを拒否した。おかげで、オードリーのほうがホリー役を演じることになった。
マリリンが出演を断った理由は、ホリーのもっているコールガール的な雰囲気を嫌がったからだという。すでに性的なイメージに付きまとわれていたマリリンは、これ以上そのイメージを膨らませることになる役が、耐えられなかったのだという。
しかしどう贔屓目に見ても、ホリー役にはオードリーよりもマリリンの方が似合うと思う。マリリンはホリーのようにあどけなさとセクシーなところと、この二つの両立しがたい美徳を備えていたからだ。オードリーは確かにセクシーなところもあるが、基本的には大人の円熟した女性なのだ。
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