書晁補子之所蔵与可画竹三首(其一):蘇軾を読む

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蘇軾は画家としても一流だった。北宋画の巨人として米芾と並び称される。その作風は幽玄を描いた水墨画である。士人画あるいは士大夫画と呼ばれることもある。要するに士大夫の画業ということである。

蘇軾はみずから水墨画を描くとともに、他者の水墨画を評価し、それに題して詩を作るのも好きだった。

蘇軾の五言古詩「晁補子が蔵する所の与可が画竹に書す(其一)」(壺齋散人注)

  与可画竹時  与可 竹を画くの時 
  見竹不見人  竹を見て 人を見ず
  豈独不見人  豈 独り人を見ざるのみならんや
  嗒然遺其身  嗒然として その身を遺る
  其身与竹化  其の身 竹と化して
  無窮出清新  無窮に清新を出だす
  荘周世無有  荘周 世に有ること無し
  誰知此凝神  誰か知らん 此の凝神を

与可が竹を描くとき、竹を見て人は目に入らない、人が目に入らないばかりか、自分自身でさえ忘れてしまう

其の見は竹と化して、極まりなくすがすがしい竹の絵を描くのだ、もはやかの荘周が存在しないなかで、誰がこの神業を理解できるだろうか


晁補子は蘇門四学士といわれた蘇軾の高弟の一人。その彼が所蔵していた与可の墨竹画に題してこの詩を書いた。蘇軾自身墨竹画の大家であった。


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