政令指定都市市長らが「特別自治市」実現を要請

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横浜、川崎両市の市長が政令指定都市の市長会を代表する形で民主、自民、みんなの党の大都市制度の責任者と会談し、「特別自治市」の実現を要請した。大阪都構想や中京都構想が先行しているなかで、大都市のおける二重行政を解消するものとして、これまでも何度か議論されながら実現してこなかったこの制度を、大都市制度に関する関心が高まっているこの機会に、是非実現させたいとするものだ。

「特別自治市」とは、基本的には道府県が持っている権限や財源をすべて大都市側に移すことで、大都市を道府県から完全に自立させ、大都市をめぐる二重行政を解消しようとするものだ。大阪都構想が東京都をならって、市の権限を府に移すことで、上からの一体行政の実現を狙おうとするのに対し、これは下からの一体行政の実現といえる。

もともと、東京市と東京府が合併してできた東京都制度というものは、1943年に実現されたという歴史的経緯からも推察できるように、東京市民の意思を尊重した民主主義的な改革と云うより、東京市を東京府に解消させることによって、行政の効率化をねらったものであり、民主主義とは相反した、上からの改革というべきものだった。そこに戦争遂行のための効率的な組織を目指した動きがあったことは、否定しようがない。

その東京都制度が戦後もそのまま温存され、今日まで命脈を保ってきたばかりか、大阪や名古屋にも同じような制度を導入したいとする意見が出てきたことは、ちょっと面白い現象だ。

そもそも地方制度というのは、行政の効率性とならんで民意の実現が容易であるということ、つまり住民自治が担保されねばならない。そういう意味では、大都市における二重行政の解消と民主主義の共存をよりよく担保できるのは、東京都制度のような上への一元化ではなく、大都市そのものに府県の権力を移行させて、大都市を自治体として強化する下からの一元化だろう。

その場合、一元化の担い手となるものは、現在の指定都市全体であってもよい。これまでの議論の経緯をみると、特別自治市は、いわゆる六大都市に限定して論議されるきらいがあったが、なにもそれだけにとどめておくべき必然性はない。

ところでいまや政令指定都市の数は20を超える。それらすべてが特別自治市になった場合を想定すると、たとえば神奈川県や福岡県のようなケースでは、圏域の殆どを大都市行政がカバーするようになり、県に残される部分は非常に限られたものになる。

そこでそうした府県は、現状のままでは府県としての機能をとどめるのが難しくなることが予想される。つまり、大都市制度の改革は、おのずから府県制度の改革を推し進める要因として働くであろう。

それは道州制についてもう一度議論しなおすことにつながるかもしれないし、そうではなく、新たな見地から広域的な団体の設置について考えるべきことかもしれない。その場合、いまもめている国の出先機関の権限を地方に移管する問題ともクロスさせる必要があろう。

国土交通省の地域整備局などの出先機関の権限を地方団体に移管することについては、これまでの議論を踏まえて一定の方向性が出たが、国の方は移管の受け皿として、府県が地域整備局単位でまとまることが前提だなどといっている。ところが府県の側にはいろいろな事情があって、かならずしも地域整備局単位で仲良く首を並べるという風にはなっていないのが現状だ。

せっかく国の権限の地方への移管という方向が出てきたのに、その受け皿を巡ってこじれているのは能のない話だといわねばならない。本来なら特別自治市とは別のレベルで、府県の広域化を考えるべき時だ。

そうした府県レベルでの新しい広域団体が設立され、それが府県と同等の権限を持った特別自治市と共存するような事態が生まれれば、それは地方自治制度全体の新たな段階をもたらすだろう。それがまた地方自治体と国との間の役割分担に関する議論をも活発にする。こうした動きが促進されることが望ましい。

現在の地方制度は明治維新後に定まった道府県の範囲を前提として作られている。そしてその府県の範囲は、律令制時代における国境の制定に遡る。つまり現代日本の地方自治制度の骨格は、千年以上前の区画割のうえに成り立っているわけだ。そろそろ見直してもいい時期だろう。





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このページは、が2012年3月31日 19:02に書いたブログ記事です。

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