今年(2012年)は沖縄の祖国復帰から40年目にあたる節目の年だというので、メディア界では様々な特集が組まれているようだ。雑誌「世界」の6月号も、「沖縄<復帰>とは何だったのか」と題して、特集を組んでいる。その中で、沖縄のジャーナリスト新川明氏が「40年目の感慨」と題して、沖縄「復帰」の意味を再検討していたのが、印象に強く残った。
一般の日本人は、40年前に行われた沖縄施政権の米国から日本への移管を、「返還」とか「復帰」とか呼んでいるが、沖縄の人々にとっては、そんなに単純なものではない。だから沖縄の人々は、返還とか復帰とか言う言葉を使うときには、少なくとも書き言葉の上では、かならずカッコをつけるのだという。
日本人の多くが「返還」とか「復帰」とかいった言葉を使うときには、無意識に、沖縄は歴史的にも地政学的にも日本の一部だと思っているのだろうが、沖縄の人々はそんな風には、簡単には考えない。
歴史的に言えば、沖縄はもともと日本から自立した独立国だった。それを日本政府が維新後に、琉球処分と言う名目で、日本に併合した。沖縄の多くの人々はそんな風に思っている。だから、40年前に行われたことは、多くの日本人が言うような、祖国への「復帰」とか「返還」とかいったことではなく、日本による沖縄の再併合と言うべきだ、という言い方も出てくる。
こうした言い方は、なにも新川明氏だけではなく、沖縄の多くの人々によって共有されているらしいことは、今日(5月15日)の朝日新聞朝刊に載っていた、沖縄出身のライター知念ウシさんと哲学者高橋哲也氏の対談で、知念さんが同じような感慨を述べていたことからもうかがえる。
知念さんは「復帰」の少し前に生まれ、その意義については長い間考えることもなかったが、最近になって、これが「復帰」と呼ぶにはあまりにも問題を抱えていることに、思いあたるようになったのだという。
それは、一言で言えば、日本全体のためにという理屈で、沖縄が深刻な差別を受けていると思わざるを得ない状況があるからだという。その差別はおそらく、日本が沖縄を植民地として扱ってきた歴史を背景にしているのではないか、とも知念さんはいう。
何故沖縄だけが、基地に苦しんでいるのか。それは、日本人が沖縄を国土の一部とは考えずに、あたかも植民地として考えているからではないか。
先日、米軍が移転先として岩国の基地を打診してきたとき、日本政府は、地元の理解がえられないという理由で、さっそくその申し出を断った。理解が得られていないのは沖縄も同然なのに、山口県の人々の反対意見は聞かれ、沖縄の人々の意見は無視される。こんな差別がまかり通るのは、日本政府の大臣クラスまでが、沖縄を植民地のように考えていることの証拠だろう。知念さんは、こんな厳しい見方までしているようだ。
たしかに、知念さんの主張には理由がある。日本人が沖縄の犠牲の上で、国の安全保障と経済的な繁栄を享受してきたことは、まぎれもない事実だからだ。
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