あひるたちのお伊勢参り:紀伊半島の旅その一

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あひるの会の今年(2012年)の新年会の席上で、次は熊野古道を歩こうということに決まった次第は、このブログでも紹介したところだ。その折、静ちゃんあひるは、山道を歩けるかしらと不安がっていたのだったが、その不安を取り除いてやる意味でも、あまり歩かずにすむコースをあれこれと検討した結果、お伊勢さん、熊野三山、高野山と、紀伊半島の見どころを回りながら、そのついでに熊野古道の端くれも歩いてみようという、なんとも贅沢なツアー旅行をすることになった。

参加者はえかきあひること筆者のほかに、静ちゃんあひる、少尉あひる、横ちゃんあひる、いまちゃんあひるの計5羽、いや5人と相成った。年々参加者が少なくなっていくのは、高齢者が多いこの仲間としては、致し方のないところ。そういうわけで、5月25日から3日間のツアー旅行を楽しんだ次第だった。

ツアーには女性の添乗員がついていた。東京駅の日本橋口で彼女に出会った我々は、新幹線のコダマ号に乗せられて西へと向かい、11時過ぎに名古屋駅に着いた。そこから観光バスに乗り込んだわけだが、同行の参加者は何と42人もいる。殆どは、我々と同等かそれ以上の年齢の人たちである。紀伊半島の旅は老人老女に人気があるとみえる。

最初の目的地はお伊勢さんだ。名古屋駅からバスだと2時間はかかる。途中関のドライブインでうどんを食い、午後2時頃外宮についた。

お伊勢さんは来年(2013)が式年遷宮にあたるというので、目下新宮の造営中だ。向かって左側の敷地に、大きな覆膜が設営されているのが見える。その中で工事が進んでいるのだろう。

外宮見物後、式年遷宮館という展示館に立ち寄った。式年遷宮の歴史を主題にした博物館だ。その説明するところによれば、持統天皇4年(690)に最初の式年遷宮が催されて以来、20年ごとに営々と行われ、来年で62回目に当たるということである。

式年遷宮のたびに、膨大な量の木材が御用済みとなるが、その中でも芯柱に用いられている太い木材は、宇治橋などの橋の材料として20年間使われたのちに、更に数十もあるといわれる末社の改修材として用いられるそうである。

ついで内宮を訪ねた。こちらは、外宮よりももっと広大だ。五十鈴川にかかる宇治橋を渡ると幽遠な森林があり、それをぬって奥に進むと内宮が鎮座している。外宮が平坦地に鎮座しているのに対して、こちらは小高い土地の上に鎮座しているので、階段を上ってお参りすることとなる。

なお、内宮といい外宮というにはいわれがある。内宮が天照大御神を祀り皇大神宮と言うのに対し、外宮は豊受大御神を祀り豊受大神宮と言う。豊受大御神は天照大御神の陪神で、天照大御神とともに食事をするのがお役目ということである。

内宮も外宮も、いまから25年ほど前に、妻子とともに訪れたことがあったが、その折の記憶は殆ど消失している。かろうじて、宇治橋を渡ったことと、門前の路地で赤福餅を食ったことばかり覚えていた。その宇治橋は昨年立て替えられたばかりといい、まだ新しかった。この橋を、境内の方から見上げるといい眺めだとガイドに言われて、帰り際に右手の橋詰から橋の骨格を見上げた。なかなか絵になる眺めだ。

赤福餅の方は、数年前に餡子の使いまわし事件を起こして一時はつぶれかかったほどだったらしいが、見事に復活したとみえて、大勢の客が例の餡子餅を頬張っていた。我々もそのお仲間に加わった次第だ。

赤福の茶店の向かい側に、小さな路地がある。おかげ横丁というのだそうだ。赤福餅を食った後でそこをぶらついた。奥の突き当りには、見世物小屋のカリカチュアのようなものが構えている。ただし正面だけで、舞台や座席の部分はない。昨年訪れた明治村では、本物の芝居小屋があったものだが、ここでは顔の部分を見せるだけで済ませているわけだ。

初日の投宿先は伊勢志摩ロイヤルホテルといって、的矢半島の先端、スペイン村の先にある。海に面した高台の上にそびえるさまがなかなか風雅だ。サービスもまあまあだった。

25年前に家族と一緒にお伊勢参りした時のホテルは、鳥羽小涌園といって、このホテルとは違う建物なのだが、立地や外見が良く似ているので、最初は同じホテルだと錯覚した。

あの折には、新幹線で名古屋まで行き、そこから近鉄で宇治山田駅に至り、お伊勢さんを参拝した後、タクシーに乗って双見が浦を見物しつつ、海沿いの丘の上にある鳥羽小涌園に投宿したのだった。そして翌日には、遊覧船に乗って鳥羽湾を一周した後、鳥羽水族館を見物し、その後再び近鉄に乗って奈良に向かったものだった。

アルカリ温泉の湯に浸かり、二階の大食堂で夕食を振る舞われる。主菜にはイセエビの煮たやつが出てきた。その後、筆者らの部屋に集まって、飲み直し、10時頃に解散した。みな次第に年を取って、深夜まで飲み耽るというわけには、いかなくなってきているのが、わかろうというものだ。


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このページは、が2012年5月29日 19:08に書いたブログ記事です。

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