能「自然居士」観阿弥の傑作

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能「自然居士」は「百萬」と並んで観阿弥の傑作といわれる作品である。自然居士とは説経節を語って歩く乞食坊主のことで、寺院の門前などで茣蓙を敷き、その上でササラをすすり鞨鼓を打ちながら、説経あるいは念仏を語って聞かせる一種の旅芸人である。

この自然居士を主人公にして、人買い商人によって未知の国に連れていかれようとしている少女を助ける場面を能にしたのがこの作品である。

人買いに身を売った少女が、その見返りに得た衣を持って居士のところにやって来て、亡き親のために説法をあげてくれと頼む。居士が説法をしていると、人買い商人たちが来て少女を連れ去っていく。事情を知った居士は、そのあとを追い、衣を返すからから少女を戻せとせまる。

人買い商人たちは、最初は自然居士を悪しざまにするが、居士の態度が強いのを見て恐れをなし、少女を返すことに同意する。だが、ただ返しただけでは腹の虫が収まらぬとて、居士に舞やささらや鞨鼓の芸をなせと迫る。

居士は少女をとりもどすためとわりきって、屈辱にたえながら芸を披露する、というのが一曲の眼目である。

とくに原点や典拠があるわけではない。観阿弥の創作になる作品である点では、百萬と同じだ。百萬同様、この能でも当時の民衆の息吹が活き活きと伝わってくるような工夫があるとともに、芸つくしが見世物となっている。能楽が物まね芸の延長にあったということを十分に感じさせるものだ。

なお現行曲は、世阿弥の手が入っている。ただ世阿弥は原曲の雰囲気をなるべく保存する形で編集しなおしたらしい。幽玄な趣より、荒々しい雰囲気を尊重し、現在能の形をそのまま採用している。

ここでは、先日NHKが放映した金剛流の能を紹介する。シテは宇髙通成、ワキは江崎金治郎、狂言は茂山あきら。

金剛流の場合には、まずワキ方が舞台に登場し、京都で子どもを買ったこと、その子どもが少しばかり暇をくれといったので、くれてやったことなどを説明し、囃子座の背後に退く。そのあと狂言が登場して、東山雲居寺において、自然居士が七日間の説法を行っているので、皆々参集するようにと触れ回る。(以下テクストは「半魚文庫」を活用)

狂言「かやうに候ふ者は。東山雲居寺のあたりに住居仕る者にて候。こゝに自然居士と申す喝食の御座候ふが、一七日説法御述べ候。今日結願{けちぐわん}にて御座候。皆々参りて聴聞申し候へ。

次いで自然居士が登場する。喝喰面を被った乞食坊主の姿である。

シテ詞「雲居寺造営の札召され候へ。夕の空の雲居寺{くもゐでら}。月待つほどの慰に。説法一座述べんとて。導師高座にあがり。発願{ほつぐわん}の鉦{かね}打ち鳴らし。謹み敬つて白{まう}す。一代教主釈迦牟尼宝号。三世{さんぜ}の諸仏十方の薩タに申して白さく。総神分に般若心経。

そこへ少女役の子方が現れ、居士に衣と諷誦文といわれる手紙を手渡す。文には、少女の親のために説法を行って欲しい旨が書かれている。納得した居士は、少女のために特別の説法をあげる。

詞「や。これは諷誦{ふじゆ}を御上げ候ふか。
狂言「実にこれは美しき小袖にて候。急いで此諷誦文を御覧候へ。
シテ「敬つて申し受くる諷誦のこと。三宝衆僧の御布施一裹{いつくわ}。右志す所は。二親霊頓証仏果の為。身の代衣一襲{ひとかさね}。三宝に供養し奉る。かの西天{さいてん}貧女{ひんぢよ}が。一衣{いちえ}を僧に供{くう}ぜしは。身の後の世の逆縁。今の貧女は親の為。
地歌「身の代衣恨めしき。身の代衣恨めしき。浮世の中をとく出でて。先考先妣諸共に。同じ台{うてな}に生れんと読み上げ給ふ自然居士墨染の袖を濡らせば。数の聴衆{ちやうじゆ}も色々の袖を濡らさぬ。人はなし袖を濡らさぬ人はなし。

ワキ詞「かやうに候ふ者は。東国方の人商人{ひとあきびと}にて候。我此度都に上り。数多人を買ひ取りて候。又十四五ばかりなる女を買ひ取りて候ふが。昨日少しの間暇{いとま}を乞ひて候ふ程に遣{や}りて候ふが。未だ帰らず候。なう渡り候ふか。昨日の幼き者は。親の追善とやらん申して候ひつる程に。説法の座敷にあらうずると存じ候。自然居士の雲居寺に御座候ふ程に。立ち越え見うずるにて候。
ワキツレ「然るべう候。

そこへ人買い商人たちが現れてが、少女を引き立てていく。狂言が止めようとするが、商人たちは用があるといって、強引に連れて行く。

ワキ「や。さればこそこれに候へ。なう急いで連れて・御入{おんい}り候へ。狂言「やるまいぞ。
ワキ「用がある。
狂言「用が有らば連れて行け。いかに居士へ申して候。
シテ「何事にて候ふぞ。
狂言「唯今諷誦を上げて候ふ女を。荒けなき男の来り候ひて追つ立てゝ行き候ふ程に。遣るまじきと申し候へば。用があると申し候ふ程に遣りて候。

少女が連れ去られたと聞いた自然居士は、このままではせっかく説法をあげてやった甲斐もなくなると、少女を取り戻すことを決意する。恐らく商人たちは大津の浜から船に乗るはずだから、急いで追いかければ追いつかぬことはあるまい。居士は衣を持って彼らの後を追いかける。

シテ「あら曲{きよく}もなや候。始より彼の女は様{やう}有りげに見えて候。其上諷誦を上げ候ふにも。唯小袖とも書かず。身の代衣と書いて候ふよりちと不審に候ひしが。居士が推量申すは。彼の者の親の追善の為に。我が身を此小袖に替へて諷誦を上げたると思ひ候。さあらば唯今の者は人商人にて候ふべし。彼は道理此方は僻事{ひがこと}にて候ふ程に。御身の留めたる分{ぶん}にてはなり候ふまじ。
狂言「人商人ならば東国方へ下り候ふべし。大津松本へ某はしり行き留めうずるにて候。
シテ「暫く。御出で候ふ分にてはなり候ふまじ。居士此小袖を持ちて行き。彼の女に代へて連れて帰らうずるにて候。
狂言「いやそれは今日までの御説法が無になり候ふべし。
シテ「いや/\説法は百日千日聞し召されても。善悪の二つを弁へん為ぞかし。今の女は善人。商人は悪人。善悪の二道こゝに極つて候ふは如何に。今日の説法はこれまでなり。願以比功徳普及於一切。我等与衆生皆共成。仏道修行の為なれば。
地「身を捨て人を助くべし。

商人たちは、大津の浜からいままさに船を出そうとしているところだった。その船に向かって居士は大声で呼びかける。

ワキワキツレ「今出でて。其処ともいさや白波の。此舟路をや。急ぐらん。
シテ「舟無くとても説く・法{のり}の。
地「道に心を。留めよかし。
シテ詞「なう/\其御舟へ物申さう。

呼びかけられた商人たちは、この船は渡し船ではないといいつつ、漕ぎ出すところを、居士は水の中に入って船に飛びつこうとする。

ワキ「これは山田矢橋の渡舟にてもなきものを。何しに招かせ給ふらん。
シテ「我も旅人{りよじん}にあらざれば。渡の舟とも申さばこそ。その御舟へ物申さう。
ワキ「さて此舟をば何舟と御覧じて候ふぞ。
シテ「其人買舟の事ざうよ。
ワキ「あゝ音高し何と/\。
シテ「道理々々。よそにも人や白波の。音高しとは道理なり。人買と申しつるは。其舟漕ぐ櫂の事ざうよ。
ツレ「艪には唐艪{からろ}といふ物あり。人買と云ふ櫂はなきに。
シテ「水の煙の霞をば。一霞二霞。一汐二汐なんどといへば。今漕ぎ初むる舟なれば。一櫂舟とは僻事か。
ワキ詞「実に面白くも述べられたり。さて/\何の用やらん。
シテ「これは自然居士と申す説経者にて候ふが。説法の場をさまされ申す。恨申しに来たりたり。
ワキ「説法には道理を述べ給ふ。
詞「我等に僻事なきものを。
シテ「御僻事とも申さばと。裳裾を波に浸しつゝ。舟ばたに取りつき引きとゞむ。

驚いた商人たちは、こんなことになったのもお前のせいだと、少女を散々に打つが、少女は声一つたてたない。縛り上げられた上に、猿轡をはめられているからだ。

ワキ「あら腹立やさりながら。衣に恐れて得は打たず。これも汝が科ぞとて。艪櫂持つて散々に打つ。
シテ「打たれて声の出でざるは。若し空しくやなりつらん。
ワキ「何しに空しくなるべきと。
シテ「引き立て見れば。
ワキ「身には縄。
地「口には綿{わた}の轡をはめ。泣けども声が。出でばこそ。

そこで商人と居士との間で問答が繰り広げられる。商人は、買ったものを返すわけにはいかぬといい、居士は、それなら自分もお前たちと一緒に陸奥まで行くまでだと返す。商人たちは居士の命をとるぞと脅かすが、居士はひるむ様子を見せない。

シテ詞「あら不便の者や。やがて連れて帰らうずるぞ心安く思ひ候へ。
ワキ「なう自然居士舟より御下り候へ。
シテ「此者を賜はり候へ。小袖を召され候ふ上は御損も候ふまじ。
ワキ「参らせたくは候へどもここに笑止が候。
シテ「何事にて候ふぞ。
ワキ「さん候我等が中に大法の候。それを如何にと申すに。人を買ひ取つて再び返さぬ法にて候ふ程に。え参らせ候ふまじ。
シテ「委細承り候。又我等が中にも 堅き大法の候。かやうに身を徒らになす者に行き逢ひ。若し助け得ねば。再び庵室へ帰らぬ法にて候ふ程に。其方の法をも破るまじ。又此方の法をも破られ候ふまじ。所詮此者と連れて奥陸奥の国へ下るとも。舟よりはおりまじく候。
ワキ「舟より御おりなくは拷訴をいたさう。
シテ「拷訴といつぱ捨身の行。
ワキ「命を取らう。
シテ「命を取るともふつつと下りまじい。
ワキ「何と命を取るともふつつと下りまじいと候ふや。
シテ「なか/\の事。

困り果てた商人たちは、居士の言い分に折れて、少女を返すことにする。だが、ただ返すだけでは、面白くない。ここはひとつ、居士をなぶって、様々な芸をさせてやろうというわけである。

ワキ「いや此自然居士に持て扱うて候ふよ。なう渡り候ふか。
ワキツレ「何事にて候ふぞ。
ワキ「さてこれは何と仕り候ふべき。
ワキツレ「これは御帰しなうては叶ひ候ふまじ。よく/\物を案じ候ふに。奥より人商人の都に上り。人に買ひかねて。自然居士と申す説経者を買ひ取り下りたるなんどと申し候はば。一大事にて候ふ程に。御帰しなうては叶ひ候ふまじ。
ワキ「我等も左様に存じ候さりながら。唯帰せば無念に候ふ程に。色色に嬲{なぶ}つて帰さうずるにて候。
ワキツレ「尤も然るべう候。
ワキ「なう/\自然居士急いで舟より御上り候へ。
シテ「いや/\聊爾{れうじ}には下りまじく候。

商人たちはまず、舞を舞って見せろという。居士が舞を舞ったことはないというと、そんなことのあろうはずはない、舞わぬと返さぬぞとせまる。居士はやむなく舞うこととする。

ワキ「何の聊爾の候ふべき唯御上り候へ。
シテ「あゝ船頭殿の御顔の色こそ直つて候へ。
ワキ「いやちつとも直り候ふまじ。又これなる人の申され候ふは。今度始めて都へ上りて候ふが。自然居士の舞の事を承り及びて候。一さし舞うて御見せあれと申され候。
シテ「総じて居士は舞まうたる事はなく候。
ワキ「それは御偽にて候。一年今のごとく説法御述べ候ひし時。いで聴衆の眠り覚さんと。高座の上にて一さし御舞有りしこと。奥までも其聞え候ふ程に。一さし御舞ひ候へ。
シテ「おうそれは狂言綺語にて候ふ程に。さやうの事も候ふべし。舞を舞ひ候はゞ此者をたまはり候ふべきか。
ワキ「先御舞を見て。其時の仕儀によつて参らせ候ふべし。これに烏帽子の候。これを召して御舞ひ候へ。

ここで物着があり、居士は烏帽子姿になったうえで、舞を舞う。

シテ「よくよく物を案ずるに。終{つひ}には此者を賜はらんずれども。たゞ帰せば損なり。居士を色々になぶつて恥を与へうと候ふな。余りにそれはつれなう候。
ワキ「いや何のつれなう候ふべき。
シテ「志賀辛崎の一つ松。
地「つれなき人の。心かな。

中之舞

シテ「抑舟の起を尋ぬるに。みなかみ黄帝の御宇より事起つて。
地「流貨狄が謀より出でたり。
シテ「こゝに又蚩尤{しいう}といへる逆臣あり。
地「彼を亡ぼさんとし給ふに。烏江といふ海を隔てゝ。攻むべき様もなかりしに。

中の舞を舞いながらクセの部分が入る。観阿弥の原作では当然、同時代の曲舞が取り入れられていたはずだ。

クセ「黄帝の臣下に。貨狄と云へる士卒あり。ある時貨狄庭上の。池の面を見渡せば。折節秋の末なるに。寒き嵐に散る柳の一葉水に浮びしに。又蜘蛛といふ虫。これも虚空に落ちけるが其一葉の上に乗りつゝ。次第々々に笹蟹のいとはかなくも柳の葉を。吹きくる風に誘はれ。汀に寄りし秋霧の。立ちくる蜘蛛の振舞実にもと思ひそめしより。工{たく}みて舟を造れり。黄帝これに召されて烏江を漕ぎ渡りて蚩尤を安く亡ぼし。御代を治め給ふ事。一万八千歳とかや。
シテ「然れば舟のせんの字を。
地「公に前{すゝ}むと書きたり。さて又天子の御舸{おんか}を龍舸{りようか}と名づけ奉り。舟を一葉と。云ふ事此御宇より始まれり。又君の御座舟を。龍頭鷁首と申すも此御代より起れり。

ついで商人たちはササラを擦れという。竹のささらが手元にないため、居士は数珠をササラがわりに、サラサラサラとする真似をする。

ワキ「如何に申し候。我等が舟を龍頭鷁首と御祝ひ候ふこと過分に存じ候。とてものことにさゝらを摺つて御見せ候へ。
シテ詞「さらば竹を賜はり候へ。
ワキ「折ふし船中に竹が候はぬよ。
シテ「苦しからず候。かの仏の難行苦行し給ひしも。一切の衆生をたすけんためぞかし。居士もまたその如く。身を谷下{こくか}に砕きても。彼の者をたすけんためなり。夫れさゝらの起を尋ぬるに。東山に在る御僧の。扇の上に木の葉のかゝりしを。持ちたる数珠にて。さらり/\と払ひしより。さゝらといふ事始まりたり。居士もまたその如く。ささらのこには百八の数珠。さゝらの竹には扇の骨。おつ取り合はせこれを摺る。処は志賀の浦なれば。
地「さゝ波や/\。志賀辛崎の。松の上葉をさらり/\とささらのまねを。数珠にてすれば。さゝらよりなほ手をも摺るもの。今は助けてたび給へ。

最後に、商人たちは鞨鼓を打てと命じる。鼓の一種だ。これを腹に巻いて、両手の棒で打つのである。

ワキ詞「手を摺るなどと承り候ふ程に参らせ候ふべし。とてもの事に鞨鼓を打つて御見せ候へ。

物着

地「本来{もとより}鼓は波の音。

鞨鼓

鞨鼓の舞を披露しながらキリがくる。最後に居士は少女の手を引いて橋掛かりの彼方へと去っていくのである。

地「もとより鼓は波の音。寄せては岸を。どうとは打ち。雨雲迷ふ鳴神の。とゞろとどろと鳴る時は。降り来る雨ははら/\はらと。小笹の竹の。簓をすり。池の氷のとう/\と。鼓を又打ち。簓をなほ摺り。狂言ながらも法{のり}の道。今は菩提の。岸に寄せくる。船の内より。ていとうと打連れて。共に都に上りけり。共に都に上りけり。


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