高野山に上る:紀伊半島の旅その六

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紀伊半島の旅の最後は高野山だ。高野山へは25年ほど前に、二人の息子を連れて来たことがあった。その折には、山上に広がる寺域全体が非常に静かだったこと、白い衣装で身を包んだお遍路さんのグループを至る所で見かけたこと、そのお遍路さんたちが奥の院に向かって声明を唱えていたこと、などが記憶の底に残っている。

今回は、寺域全体がやけに賑わっているように感じられる。世界遺産になったことで、一層観光地化したせいかもしれない。お遍路さんを見かけることは殆どなく、そのかわりに旗を持ったガイドのあとからぞろぞろと歩いていく観光客たちばかりが目についた。

我々も、地元のガイドに先導されて、墓域を潜り抜けて奥の院に向かった。前回来た時も、この墓域の広大さには驚いたものだが、今回もそのスケールに改めて驚かされた。何しろ32万基の墓があるというのだ。

高野山には昔から、人々が遺骨を納める風習があって、高野聖が全国津々浦々から遺骨を集めて来たと言う歴史があった。墓のほかに、納骨堂に収められたそうしたちの遺骨を合わせると、何体の慰霊がここに集まっているのか、数も知れない。とにかくありとあらゆる人々が、ここに葬られることを願ってきたわけである。

ガイドによれば、ありえないとされた信長の墓が最近見つかったそうだ。何故ありえないかと言えば、信長は比叡山に続いて高野山も焼き払うつもりで、その実行を命じてまでいたのであったが、直後に本能寺で殺されたために、高野山は焼き討ちを免れた。そんないわれがあるために、高野山もまた信長を憎むこと甚だしかったわけなのである。それ故、信長は家臣によって、ひっそりと、それも本人の意思に反して、高野山に埋葬されたということになる。

奥の院に詣でると、一同地下に下り、弘法大師が鎮座しているという部屋に向かって一斉に大音声を唱えた。曰く、南無大師遍照金剛、これを三回唱える。ナムダイシヘンジョーコンゴー、ナムダイシヘンジョーコンゴー、ナムダイシヘンジョーコンゴー、くぐもった音色の大音声が堂内に響きわかる。奥の院の聖域を出るときにも、この大音声を三回繰り返した。

さてガイドの説明では、高野山は一大宗教都市として、一時に何千人もの人々が、大昔から暮らしてきた。しかし、女人禁制なので、女性が上ることは許されなかった。それ故、母とともに父刈萱を高野山まで追ってきた石童丸は、母を麓に残して単身高野山へ上ったのであるが、折角刈萱と巡り会えたにかかわらず、父の顔がわからないために、父子の体面を果たすことができなかったのであった。

高野山はまた、高野聖を全国につかわし、弘法大師の教えを広める一方、上述のように、信者の遺骨を受け入れてもきた。今日の日本人の遺骨尊重文化は、高野山によって影響せられたところが大なのである。

お遍路さんが少なくなったと書いたが、それは四国巡礼をする人が少なくなっていることを物語っているのだろう。というのも、高野山への参拝は、四国88か所順礼完了の御礼参りだからなのだが、それを成就する人が少なくなれば、勢い高野山参りをする人も少なくなろうからだ。

我々の高野山参りは、御礼参りではなく、ただの観光に過ぎなかったわけだが、それでもありがたさの一端は感じることができたし、お題名を唱えることもできた。まずは、万歳というべきだろう。

最期に我々は護符を売っているところに連れていかれた。護符には三種類ある、とガイドはいう。一つ目は普通のお守りで、これは毎年正月に古いものをお寺に収め、新しいものに替えるのが普通だ。二つ目は木の御札で、これは木が割れたときにお寺に収め、新しいものと替えてもらう。木が割れたのは、自分の身代わりになったからで、身代わりになった木札は速やかにお寺に納めなければならないとされているのだ。三つ目は弘法大師の像を彫り込んだ立派な護符で、これは生涯御利益が続くから、死んだときに柩の中にいれてもらい、一緒にやいてもらうのがよいという。

筆者は、三つ目の御札をいただくことにした次第だった。





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このページは、が2012年6月 3日 19:02に書いたブログ記事です。

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