慈湖夾阻風五首其二:蘇軾を読む

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紹聖元年(1094)四月、章敦が宰相の地位に着くと、旧法党への大弾圧が始まった。蘇軾はまず四月早々に、中央での官職をすべて剥奪されて英州(広東省英徳県)の知事に任命されたが、引き続き六月には恵州(広東省恵州市)へ流謫されることになった。政府の高官を務めた人間が、大庾嶺を超えて広東の彼方に流謫されるのは、蘇軾が初めてであった。

河北省の定州から広東省の英州までは二千キロを超える長旅である。開封からは船で運河をいったものと思われる。その船が慈湖夾(江蘇省島当塗県の北)に差し掛かった時、逆風に見舞われて船が進まなくなった。その時、蘇軾は数篇の詩を作り、旅の無聊を自ら慰めた。

慈湖夾にて風に阻る五首其二

  此生歸路愈茫然  此の生 歸路愈いよ茫然たり
  無數青山水拍天  無數の青山 水 天を拍つ
  猶有小船來賣餅  猶ほ小船の來って餅を賣る有り
  喜聞墟落在山前  喜び聞く 墟落の山前に在るを

この人生はどこに行きつくのかいよいよわからなくなった、無数の青山が連なり、水路の水しぶきが天を打っている、そこへ小舟がやってきて餅を売る、聞くところでは、山の手前に村落があるということだ


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