八月七日初入贛過惶恐灘:蘇軾を読む

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招聖元年(1094)6月、蘇軾は南京に到着したところで、自分に関する新たな情報に接した。英州知事の辞令は撤回され、恵州に流罪という情報である。恵州は英州を超えた先にある。

蘇軾は南京から先も船旅を続け、安徽省を超えて江西省に入った(贛は江西省の別名)。そこで惶恐灘という恐ろしい名前の早瀬に差し掛かった蘇軾は、一片の詩を賦した。

八月七日初めて贛に入り、惶恐灘を過ぐ

  七千里外二毛人  七千里外 二毛の人
  十八灘頭一葉身  十八灘頭 一葉の身
  山憶喜歡勞遠夢  山は喜歡を憶打て 遠夢を勞し
  地名惶恐泣孤臣  地は惶恐と名づけて 孤臣を泣かしむ
  長風送客添帆腹  長風客を送って帆腹を添へ
  積雨浮舟減石鱗  積雨舟を浮かべて石鱗を減ず
  便合與官充水手  便ち合(まさ)に官の與(ため)に水手に充つべし
  此生何止略知津  此の生何ぞ略ぼ津を知るに止どまらん

都を離れること七千里、白髪頭(二毛は半白の意)の自分は、 十八の灘頭を行く小舟に身をまかす、山を見ると故郷の喜歡峰が思い出され、惶恐という名前を聞けば心細い気持ちになる

長風が帆を膨らませて船を進め、積雨のおかげで水嵩がまして危険な浅瀬もなくなった、せめてお役人のために水夫でも努めよう、ただ単に道を答えるだけの能なしではないのだから


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