紹聖元年、蘇軾は恵州に到着すると嘉祐寺に寄寓した。そこには近隣から多くの人々が訪ねてきたが、恵州知事詹範もその一人だった。詹守とは、知事詹範という意である。
詹守酒を攜へて過(よぎ)られ、前韻を用ゐて詩を作る、聊か復た之に和す
箕踞狂歌老瓦盆 箕踞狂歌す 老瓦盆
燎毛燔肉似羌渾 毛を燎し肉を燔く 羌渾に似たり
傳呼草市來攜客 草市に傳呼し 來って客を攜へ
灑掃漁磯共置樽 漁磯を灑掃して 共に樽を置く
山下黃童爭看舞 山下の黃童 爭って舞を看る
江干白骨已銜恩 江干の白骨 已に恩を銜む
孤雲落日西南望 孤雲 落日 西南に望み
長羡歸鴉自識村 長へに羡やむ 歸鴉の自づから村を識るを
脚を投げてどんずわり、気違いじみた歌を歌う、毛をこがし肉を焼くさまは未開人のようだ、そこへ大声を立てながら知事の一行がやって来て、私を連れ去るや川辺に一席設けて盃を交わす
洟垂れ小僧どもがやって来て我々の舞を見物し、川辺に転がっていた白骨は丁寧に埋葬されて恩義を感じてゐることだろう、孤雲落日を西南に望むと、鴉が自分のねぐらに帰っていくのが見える
老瓦盆は杜甫の「少年行」のなかの「莫笑田家老瓦盆」を踏まえている。貧しい生活の中での楽しみといった意。羌はタングート族、渾は鮮卑族で、どちらも未開人の代名詞。江干白骨已銜恩は、詹範が野ざらしの白骨を集めて埋葬したことを称えた表現だ。
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