首相官邸前に押し寄せる脱原発デモ

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東京で数万人規模のデモを見るのは何十年ぶりのことだろう。1960年代末以来のことではなかろうか。こんなにも長い間、デモと無縁だった日本で、数万人もの人々がデモを組み、首相官邸前に押し寄せた、というのはただ事ではない。(主催者は15万といい、警視庁では、1万7千人といっている)

デモに参加した人々が口々に叫んでいたのは、脱原発だ。福井県の大飯原発が7月1日から再稼働されることになった事態を前に、野田政権の決定に反発する人々の異議申し立ての動きである。3月下旬から、毎週金曜日の夕方に実施され、当初は数百人規模だったものが、先週金曜日(6月22日)には一挙に4万人規模に膨れ上がり(警視庁では1万1千人といっていた)、今週は再稼働直前とあって、一気に数万人規模になった。

参加者の多くは、ツイッターなどのSNSを通じて、デモへの呼びかけを知ったということだ。アラブの春で、SNSが巨大な役割を果たしたのと、よく似ている。日本の民衆も、インターネットを通じて、政治的な意思表示をするようになったことの現れだろうか。

デモが首相官邸前に押し寄せた午後6時過ぎには、野田総理大臣は官邸内にいたそうだ。そして7時頃には執務を終え、官邸から隣の公邸に移動したが、デモそのものには、ほとんど反応らしいものを示さなかったということだ。(「大きな音がするね」とはいったらしい)

さすがに「うるさい」とはいわなかったということだが、デモに前向きに向き合う姿勢は示さなかったということだろう。一国の総理大臣が、民衆の声に無頓着なのは、1960年代位末以降、国民がおとなしくなって、政治的な意思表示をしてこなかったことの効果といえるかもしれない。

1960年代までは、日本の多くの国民も、政治に対して物理的な形で意思表示をしていたものだ。それが次第に影をひそめ、ついには誰も、物を言わなくなったのは、好調な経済に支えられて、不満が無くなったからか、それとも、言ってもしようがないと、達観するようになったからか。

しかし、今回の原発再稼働のいきさつは、あまりにも国民を馬鹿にしたやり方だったために、さすがお行儀のいい日本国民も、我慢の緒が切れたということなのだろう。

原発問題にせよ、消費税の増税問題にせよ、いまの政治は国民のことなどどこ吹く風といった有様だ。とにかく無責任なやり方が大手を振ってまかり通っている。それが政治に対する国民の不満を高める原因となっていることは、ほかならぬ政治家諸君にも、すこしは分かっているはずだ。

すこしどころか、ばっちりとわからせ、国民に対して責任を持った政治をさせるように、国民はもっともっと意思表示を行わねばならぬ、そんな風に感じるのは、筆者のみではあるまい。(写真は共同通信から)





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このページは、が2012年6月30日 19:04に書いたブログ記事です。

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