古代ギリシャ "白い"文明の真実

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古代ギリシャといえば、真っ白な大理石に刻まれた端正な人物像に象徴される"白い"文明と言うのが、我々現代人にとってのステレオタイプになっているが、実はそれらの像には、もともと極彩色の色彩が施されていた、そんな事実が、大英博物館の研究者などの最近の調査からわかってきたそうだ。その様子を、NHKスペシャルの特集番組が紹介していた。(知られざる大英博物館 第2集 古代ギリシャ "白い"文明の真実)

大英博物館の地下の資料庫には古代ギリシャの遺跡数万点が保存されているが、そのなかの大理石の彫像の表面を特殊な色彩解像装置で調査したところ、色彩を施した跡が見つかった。このことがきっかけになって、古代ギリシャの大理石の彫像は、制作当初には色彩が施されていたとする結論が得られたという。

彫像だけではない、大理石で作られた神殿も、天井などに色彩が施されていたことが判明した。またあのパルテノン神殿を飾っていたエルギン・マーブルといわれる装飾部分にも豊かな色彩が施されていたとわかった。

このことから番組では、ギリシャの造形芸術は、極彩色の色彩豊かな文化だったと推測した。そして、そこに、エジプトやメソポタミアなどの強い影響を読み取っていた。

古代ギリシャの造形芸術から色彩を追放し、そこに純白のイメージを定着させたのは、18世紀のドイツの古代美術史家ヴィンケルマンだったという。ヴィンケルマンは、大理石でできた純白のギリシャ彫刻に、エジプトやメソポタミアとは異なったギリシャ芸術の独自性を認め、それこそがヨーロッパ芸術の原点だと主張した。つまり、ヨーロッパの原点であるギリシャの独自性を強調するために、色彩を追放したというのである。実際、ヴィンケルマン以降、ギリ
シャの大理石彫刻は尽く白く磨き上げられてきたのである、そう番組は解説していた。

ギリシャ文明が人類史に忽然と登場するのは紀元前7世紀のことだ。それ以前のことは殆ど知られていない。しかし、エジプトに残っている遺跡からは、古代ギリシャ文字が発見されており、紀元前7世紀以前に、ギリシャ人たちがエジプトで傭兵として活躍していたことが明らかにされている。ギリシャ本土は土地がやせ、経済的に貧しかったため、エジプトをはじめ、近隣の国々に傭兵として出かけて行ったのだと思われる。

それらの傭兵たちが、紀元前7世紀ころにギリシャに帰来し、エジプトやメソポタミアから持ち帰った文化をもとに、ギリシャ人の文化を作り出した。したがってそれらが、エジプトやメソポタミアの強い影響を受けているのは当たり前のことであった。大理石の彫像に色彩を施すのは、エジプトの極彩色芸術の模倣だったわけである。

しかし、ギリシャ人はやがて彼等独自の表現形式を見出した。彫像に見られる写実主義はその最たるものであろう。

文化と言うものは、先行する文化の影響のもとで、そこに何を新しく付け加えるかが問題だと言える。先行するいかなる文化の影響も受けず、忽然として無から生じたとするのは不届きな考え方だ。この番組は、そんなことを感じさせて、なかなか面白かった。





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