オルテガ・イ・ガセー「ドン・キホーテをめぐる思索」

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ホセ・オルテガ・イ・ガセーの「ドン・キホーテをめぐる思索」(佐々木孝訳)を読んだ。オルテガといえば「大衆の反逆」などで知られる思想家で、20世紀に大衆なるものが出現したことを初めて宣言した人だ。それ故どちらかというと、社会学者としての印象が強いが、本人は哲学者として自己認識していたようだ。

筆者自身は、いままでオルテガについて深く読んだことはなかった。「大衆の反逆」は、文体が気取っていて、貴族趣味のようなものを感じさせたと記憶している。読んだのはまだ学生時代のことだから、中身はおおかた忘れてしまったが、詳しく覚えていないということは、感銘や影響を受けなかったことの証拠だろう。

今回この本を読んだのは、オルテガではなく、「ドン・キホーテ」のほうに関心があったからだ。ドン・キホーテについて、いろいろな批評に当たって見ようと思い、その一環として、オルテガのこの本を取り上げたわけだった。

この本は、「大衆の反逆」と並んで、オルテガの代表作ということになっているらしいが、その訳が何となくわかるような気がする。これはドン・キホーテについて語った研究書というよりは、ドン・キホーテを材料にして自分の言いたいことを語った書なのだ。

その辺の事情は、オルテガ自身がこういっている。「これらの思索は・・・<ドン・キホーテ>の最奥の秘密に入り込むことはあきらめている。それはあたりまえのことだ。これはただ、あの不朽の名作に宿命的にひきつけられた思考が~急ぐことなく、あわてることなく~描こうとする、広い弧を持つ関心なのだ」

だから読者は、この本を読んでも、ドン・キホーテについての知見が広まったり、深まったりすることを期待してはいけない。読者はそこに、オルテガという思想家の、思想の一端を垣間見ることで満足しなければならない、というわけである。

しかし、ドン・キホーテについての、洒落た言及がないわけでもない。

オルテガはいう。「セルバンテスはルネッサンスの頂上から世界を眺めている」

この言葉から読者は、オルテガがこの「ドン・キホーテ」という作品を、ルネサンス文学の観点からみていると感じとるに違いない。実際、「ドン・キホーテ」をルネサンス文学の傑作として見る見方は、20世紀以降一般化しているわけだし、オルテガがそういう風に「ドン・キホーテ」を位置付けるのには十分な理由がある。

しかしそれにしては、オルテガは「ドン・キホーテ」のどんなところがルネサンス的なのか、十分に説明していない。シェイクスピアとの比較もたった一言で済ませている。シェイクスピアはセルバンテスよりも観念的だった、と。

セルバンテスよりも観念的な作家は、別にシェイクスピアでなくてもいいわけだ。このように些細な相違に注目するより、この偉大な二人がどのような点で、ルネサンス人としての共通点を持っているか、そのことを示唆して欲しいものだ。

ところで、オルテガ自身は、ルネサンス文学の特徴を次のように考えていたフシがある。

一つは、神話や奇跡に替って、現実的なものが表面に出てきていること、もう一つは、心理的なものが主導権を握ったということである。

これがルネサンス文学の特徴としていわれるべきことだろうか、筆者などはむしろ、これは19世紀リアリズムの説明としての方が相応しいと感じる。

オルテガはまた、「ドン・キホーテ」を英雄の冒険物語だともいっている。彼のいう英雄とは、「彼の中にある祖先たちでもなく、現在の慣行でもない・・・自分自身であろうとする」人間のことであり、冒険とは、「物質的秩序からの逸脱であり非現実性なのだ。冒険への意思、努力、気力において、二様の不思議な本性が躍り出てくる。そしてこの二つの要素は、互いに反対の世界に属している。つまり、欲求は現実のものだが、欲求されたものは非現実のものなのである」

つまりあらゆる制約から解放されて自分自身であろうとする人間=英雄が、現実の欲求にもとづいて、非現実を求めようとする努力、それが英雄の冒険物語なのであり、「ドン・キホーテ」はその優れた見本なのである、ということになる。

なにやらコングラがってきた感じであるが、オルテガの思考はもともと、観念のコングラガリを楽しむ体のものなのだ。





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このページは、が2012年7月 5日 18:16に書いたブログ記事です。

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