国会事故調の最終報告:福島原発事故

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福島原発事故を検証するために作られた国会事故調は、自民・公明と民主党内の非主流派が主導したという経緯や、委員会の構成メンバーからして、政治的な色彩を強く疑われていた。果して6月に出した中間報告では、菅政権の対応を厳しく非難する一方、東電に対しては甘いという印象をばらまいたところだ。しかし、今回(7月5日)出した最終報告は、それなりに良識的なまとめ方に収まった、というところだろうか。

最大の眼目である事故原因のとらえ方については、巨大地震やそれに伴う巨大津波の可能性を、東電が十分に認識していながら必要な対策を先送りしてきたとし、その無責任な体質が最大の原因だとする一方、東電を監督する立場の規制官庁が東電の意に迎合して必要な安全対策の指示を怠ったとした。そのうえで、この事故は、電力事業者と規制官庁が起こすべくして起こした「人災」だと結論付けた。

この指摘に関して重要なのは、規制側が「東電の虜」になっていたとする点だ。規制官庁は、対策をずるずると先送りする東電に対して何も言わなかったばかりか、自分に課された責任を果たそうとする意識に欠けていた。そのことは、原子力安全をめぐる国際的な標準さえも無視していた点や、本来なら国の規制官庁がやるべきことまで、東電の自主規制に任せていたことにも表れている。

事故後の対応については、菅総理による現場への過剰な介入が適切な事故処理を妨害したと改めて指摘するともに、現場からの撤退を巡って、官邸との間に意思疎通の不適切な状態が生じたのは、東電社長のあいまいな態度にも原因があったとして、菅政権を一方的に攻めていたこれまでのスタンスを多少改めたかたちだ。

しかし、菅政権の対応には理解しがたい部分があるといって、報告書は菅総理大臣の姿勢を強く批判している。とりわけ問題なのは、国が本来やらねばならない措置(住民の避難や災害情報の発信)をそっちのけにして、現場に過度に介入したことだ。そのことで、適切な事故処理に悪い影響を与えたばかりか、住民を重大な危険にさらし続けた、そういわれても仕方のない面があるとしている。

菅政権は、菅総理が東電に直接乗り込んだおかげで、東電の撤退を阻止できたと主張しているが、その言い分には根拠がないといって、菅政権の必要以上の介入について批判している。

また東電は、今回の事故はすべて津波によって引き起こされたものであり、地震による影響はほとんどないといってきたが、報告は、緊急時に原子炉を冷やす装置が地震で壊れた可能性があり、それによって冷却水が漏れることを恐れて、運転員が装置を止めていたと指摘した。この時装置を止めずに、一気に炉内を冷やしていれば、事故の拡大を防げた可能性もあったという。

東電が事故原因を津波だけに求めて、地震の影響を過小評価したことについて、報告は、「既設炉への影響を最小化しようとする考えが東電の経営を支配してきた」ことの結果だと断罪した。

以上、この報告書からは、「原子力安全の監視・監督機能が崩壊」し、安全対策が不十分なまま3.11を迎えたという事情が良く伝わってくる。





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このページは、が2012年7月 6日 19:28に書いたブログ記事です。

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