右傾化トライアングル

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野党に転落して3年たった自民党、一時は敗戦ショックで意気消沈しきっていたが、最近は少しずつ元気を取り戻しているようだ、消費税増税や原発政策を巡って、自分たちの言い分を与党の民主党に飲ませることができるようになってきた、そんな新たな状況が自信の回復につながっているのだろう。

その自民党の最近の特徴を一言でいえば、保守先鋭化あるいは右傾化だといえよう。民主党との政策の違いを浮き立たせるためかもしれないが、いろんな分野で保守的な傾向を強めている。

まず、社会保障の分野では、民主党政権のマニフェストをばらまきだと批判し、児童手当や農業への戸別補償を撤回させてきた。そのかわりに持ち出しているのが、国民の自助努力だ。国は国民の自助努力で足りない部分を補えばいいのであって、はじめからやみくもに給付のばらまきを行ってはならない。そういうスタンスを強めている。

最近問題になった生活保護の不正受給をとりあげて、給付水準の削減や医療扶助の適正化をもくろんでいるが、生活保護制度は社会福祉の土俵際ともあって、これの見直しが福祉水準の全面的な見直しにつながるであろうことは、十分に予想できることだ。

国民へ自助努力を求める姿勢は、国の自主独立の主張へとつながりやすい。そこで自民党長年の念願であった憲法改正を実現し、その中で天皇を国の元首と位置付け、自衛隊を国防軍に格上げして、集団的自衛権にも道を開く、といったことを公然と主張するようになった。

国防との関連では、原子力規制委員会設置法の中で、自民党は「安保条項」をしのばせることに成功した。原発が安全保障をも念頭に置くということは、原発の開発技術を将来核兵器の開発にも転用すると宣言するようなものだから、早速韓国や中国の疑心を招いた。

自民党にこのようなことができたのには、党内対立で足場の弱い野田政権が、なりふりかまわず自民党にすり寄っている事態が働いている。自民党としては、相手の足元をみて、あるいは相手の弱みに付け込んで、自分たちの言い分をこっそりと飲ませているわけだ。

それにしても自民党は、なぜここまで右傾化したのだろうか。かつての自民党と言えば、極右からやや左寄りまで、幅広い考えの持ち主の寄り合い所帯だった。一番右には福田派の流れがあって、愛国心と国民の自助努力を叫んでいるかと思えば、左寄りには三木派の流れがあって、平和憲法をそれなりに評価していた。中間には田中派と池田派の流れがあって、こちらは政治的なイシューより経済成長を優先してきた。空疎な政治論議にうつつを抜かす暇があったら、国の経済力を伸ばすのが政治家の果たす役目だ、一時代の自民党はそんな考えの政治家が多くをしめていたものだ。

それが、右傾化の傾向を強めるようになったのは、森、小泉以来福田派の流れが自民党の主流に定着した政権末期からのことだったが、政権を失うと、その傾向が一層顕著になったというわけだ。

その背景には、民主党が社会民主主義的な公約を掲げて選挙に勝利したという事態がある。その民主党との違いを際立たせるために、一段と右寄りにシフトする力が働いたということだろう。

また、野田政権が登場した後は、民主党自体が右寄りにシフトし、言ってみれば自民党とあまり違わない政策を打ち出すようになった。マニフェストの放棄と消費税の増税、震災復興をだしにした公共事業の復活、大飯原発の再開に見られる原発維持への執念などである。

つまり、自民党が極端に右寄りにシフトした分だけ、民主党の方がそのスペースを埋めるように右寄りにシフトしたわけだ。これまで民主党について国民の抱いてきたイメージは、中道より幾分左寄りというものだったが、それがだんだんと中道を越えて右寄りになってきたということだ。

右傾化した民主党にとっては、自民党は十分に連立できる相手となる。いまの野田政権の姿勢からすると、党内基盤の弱さを自民党との連立によって補おうとするのは自然の勢いかもしれない。今の自民党にはまだ公明党が降ら下がったままでいるので、民主党と自民党の野合には公明党も加わって、右傾化トライアングルともいうべきものが作られることになる。

この右傾化トライアングルは強固な必然性には支えられていないから、暴走する可能性が高い。原子力政策に「安全保障条項」が盛り込まれたいきさつを振り返ると、それが良くわかる。この法案は、ほとんど何の議論もなされず、国会議員のほとんどが知らない間に提案され、あっという間に成立してしまったわけだが、それは民自公のトライアングルが談合すれば、どんなことでも実現されてしまうという、恐ろしさを感じさせるものだった。

しかし、少なくとも表向きでは、自民党はこのまま民主党との大連立に満足するつもりはないらしい。やはり,単独で与党の座を占めたいと狙っているようだ。その際に自民党がモデルとしているのは、どうやらアメリカの共和党のようだ。自分らを共和党に擬したうえで、リベラルで社会民主的な政策(自民党やロムニーにいわせればばらまき政策)を掲げる民主党と対立する構図を作りたい、そんな風に考えているフシがある。やはり二大政党制とは、似た者同士の政党からでは成り立たず、政党間に一定の対立関係があって初めて成立するものだ。

アメリカの二大政党は、背後に明確な社会階層が控えている。共和党の背後には富裕な白人層と彼らの利益を代表する経済界、とくに金融資本の業界だ。一方民主党の背後には、労働者層や黒人・ヒスパニックなどのマイノリティが控えている。ごく単純化して云えば、そういう構図がある。

だから共和党は、富裕層の懐をあてにして貧乏人に金をばらまくような政策には大反対する。その反対ぶりがますますなりふり構わず、かつ見境のないものになっていることは、最近のロムニーの言動からも伝わってくる。

ところで、自民党の背後にはどんな階層があるのか。日本はアメリカとは根本的に異なった社会だから、アメリカのような露骨な階層分裂はないかもしれないが、それでも互いに利益を異にする集団は存在する。自民党が依拠しているのは、一昔前までは農村地帯の意向だったが、いまでは経済界の意向のようだ。日本の経済人が外国との競争に打ち勝つこと、そのために経済人の行動の自由を最大限に尊重し、かつ彼らの租税負担を最低限にとどめること、これが自民党の最大のテーゼになっているようだ。自主自立も裏を返せば、他人の懐をあてにするなと言う政治的なメッセージになる。

一方の民主党は、先の選挙で勝利した時点では、アメリカの民主党と近縁性を感じさせるところもあった。マニフェストが言及していたのは、子育て世代や高齢者、そして非正規雇用労働者ややコメ作り農家などであったが、それはある意味で、アメリカの民主党が依拠する階層と重なり合うような部分も持っていた。

それ故、自民党か民主党か、という政権選択には、階層的な利害が密接にかかわるような状況が生み出されていたわけである。

だが、野田政権になってからは、民主党はすっかり右傾化してしまい、どこが自民党と違うのか、わからないような状態になってしまった。そういう状態をさして、鳩山氏は「自民党野田派」などと皮肉っているほどだ。

こんなわけで、いったんは民主党に期待した国民各層が、次第に民主党を見限るようになっていく、そんな事態が生じるのかもしれない。





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このページは、が2012年7月15日 19:05に書いたブログ記事です。

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