小泉政権下の経済財政諮問会議:内山融「小泉政権」

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小泉政権下で経済財政諮問会議の果たした役割は巨大なものだった。それは従来の官僚主導で分散型の意思決定から、官邸主導で集権型の意思決定への転換を可能にし、族議員らによる既得権益の独占を排除して、新たな政策軸を持ち込むことに成功した。小泉はこの経済財政諮問会議を最大限に活用することで、郵政民営化をはじめとした、新自由主義的な政策を次々と実行していったのである。

経済財政諮問会議は2001年1月の中央省庁再編の一環として導入されていた。その主要目的は内閣機能の強化と首相主導の意思決定の実現といったものであったが、制度がうまく機能するかどうかは、首相がそれをどう使うかということにかかっていた。実際、この制度を存分に使ったのは小泉政権だけといってよく、小泉以前の森内閣を別にすれば、小泉のあと安倍、福田、麻生の三代にわたってあまり大した成果をあげられなかったばかりか、2009年に民主党が政権を取ると、ついに廃止されてしまった。というわけで、経済財政諮問会議について語ることは、小泉政権の意思決定システムの特徴について語ることにほかならない

小泉は、この諮問会議に二つの役割を期待した。一つは首相による集権的な意思決定を支えること、もう一つは新自由主義的な政策を実現するためのアイディア・センターとして機能することである。

後者については、小泉は竹中平蔵と言う人材を軸にして、新自由主義的な考えの持主を諮問会議に集め、彼らにアイディアを出させた。諮問会議には、首相や官房長官、担当閣僚のほか4人の民間枠があり、そのうちふたつは経済界から、残りの二つは学界からとることになっていた。小泉は、経済界からは牛尾治朗と奥田碩、学界からは本間正明と吉川洋を起用した。牛尾と奥田は経団連の代表である。本間はサプライサイドエコノミックスの主導者であり、竹中とは経済学上の考え方を共有していた。いわゆる洗脳世代の代表格である。吉川はケインズ理論も齧ってはいたが、その主張するところは健全財政主義であり、その点では竹中らの考え方と共通するところも多かった。

要するに、小泉政権における諮問会議の民間委員は、どれもみな新自由主義的な考え方に染まっていたわけで、これに竹中を加えたら、諮問会議の半数が新自由主義路線の信奉者と言うことになる。だから彼らに小泉が乗ったらそれこそ無敵になるわけである。これはある種のギャング団が街の行政を仕切るようなものといえる。その連中が一致結束して、いわゆる構造改革路線なるものを主導していったわけである。

ともあれ、この経済財政諮問会議が司令塔として機能することで、首相によるトップダウン型の意思決定がなされていった。「この諮問会議に政策決定の中心が移ることによって、既存の権力構造の組み換えが起こり、これまでにないほどの政策転換が行われるようになった」と政治学者の内山融はいっている。(小泉政権)

内山は、この諮問会議の果たした機能として、いくつかの点を挙げている。

第一に議題設定の主導権を官僚からとりあげたこと。従来官僚が独占していた議題設定の主導権を諮問会議が握ることで、官僚や族議員からは出てこないようなアイディアが政策化されるようになった。

第二に、「予算の全体像」や「骨太の方針」といった形で、予算編成にも大きな影響力を持つようになった。この影響力を行使して、財界委員は法人税の減税を実現させ、学者委員は、たとえば医療費の伸びをGDPの延びにリンクさせるなど、社会保障費の抑制につながる主張を行った。

第三に、各省庁にまたがるような議題について、統合的な役割を果たした。それによって、以前は各省のはざまにあって、見逃されていたような議題も積極的に取り上げられるようになった。国庫補助金、税源移譲、地方交付税の「三位一体改革」などは、その典型であると内山は言う。

第四に、政策決定過程が透明になり、誰が何を言ったか、国民の目に見えるようになった。それが政治に対する国民の関心を高め、首相の政策に対する支持を強化する作用をしたのは否めない。

このような機能を通じて、予算編成の主導権が次第に諮問会議に移り、鉄のトライアングルと称された従来型の利権共同体は次第に政策決定の場から放逐されるかに見えた。

しかし必ずしもそうなったわけではないと内山は言う。その最もいい例が道路公団の民営化であった。道路公団の民営化は特殊法人改革のシンボル的な事例として、郵政民営化と並んで、官業縮小政策の総本山というべきものであったが、郵政の民営化とは違って、改革は中途半端なものにとどまった。その最大の理由は、この問題の議論が経済財政諮問会議ではなく、独自の委員会でなされ、しかもその議論の中で、道路族の意見が十分に反映させるような仕組み(委員長は道路建設推進派)になっていたことがあった。

郵政民営化と道路公団民営化、この二つの大きな課題を、小泉は何故同じ枠組みの中で議論させなかったのか。そこには小泉自身の個人的な好みのようなものが、色濃く反映している、といったようなことを内山は匂わせている。

郵政民営化は、小泉が首相になるかなり前から持論としてきたことであり、最後には政治生命をかけて議会の解散に踏み切ったほど重大視していた政策であった。それ故、経済財政諮問委員会などの、使える資源を最大限に動員して実現しようとの意欲が働いていたのであろう。それに対して道路公団の民営化は、新自由主義路線の議論の中から浮かび上がってきた後発の議題であった。そこに郵政民営化程の重要性を、小泉は認めなかったのかもしれない。

もう一つ、小泉はいったん打ち出した政策について、自分自身はあまりフォローせずに、人任せにする傾向があった。「丸投げ」とよく言われる所以である。郵政のような問題ではとことん首を突っ込むが、それ以外の問題ではそう動かない、そんな姿勢が両者の命運の相違につながったのではないか、どうもそんな風に受け取れるのだ。





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このページは、が2012年8月20日 20:10に書いたブログ記事です。

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