礼文アツモリソウ(敦盛草)

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アツモリソウ(敦盛草)は、本州の亜高山地帯や寒冷地に自生するラン科の多年草である。野生のランの中では、一段と大きな花を咲かせ、野生ランの王者といわれている。しかしかえってそのことが徒となって盗掘が絶えず、いまでは絶滅が心配されるほどに減ってしまった。それ故、幻の花ともいわれている。

礼文アツモリソウは、その名の通り日本最北の島礼文に自生する種である。本州のアツモリソウがほとんど紫色なのに対して、この花はほのかな象牙色に咲く。

アツモリソウという名にはいわれがある。平家の公達敦盛の名を取って名付けられたのである。本州に咲く同じ仲間の花に、クマガイソウというのがあるが、アツモリソウとクマガイソウとは一対のものとして、兄弟花と考えられている。いうまでもなく、平敦盛は一ノ谷の合戦において、馬に乗って沖へ逃れようとするところを、熊谷直実に呼び止められ、ついに直実によって首をはねられたのであった。

その時の様子を、平家物語は次のように描いている。

敦盛のいでたちは、「練貫に鶴縫うたる直垂に、萠葱匂ひの鎧着て、鍬形打ったる甲の緒を締め、金作の太刀をはき…連銭葦毛なる馬に金覆輪の鞍置いて」沖へと向かうところに、直実「あれは大将軍とこそ見参らせ候へ。まさなうも敵に後ろを見せさせ給ふものかな。返させ給へ」と呼び止め、敦盛を組み伏せたるところが、我が息子小次郎と同じ年頃の少年と知り、「そもそもいかなる人にてましまし候ぞ。名乗らせ給へ。助け参らせん」というも敦盛は名を名乗らず、「ただ疾々頸をとれ」というのみ。直実は泣く泣く敦盛の首をはねた。

この後直実が出家して蓮生と名乗り、敦盛の冥福を祈る様子が、謡曲「敦盛」に取り上げられている。この中で、笛吹として登場した敦盛は、亡霊となって直実の前に現れ、過去の恨みを口説いた後、最後には「同じ蓮の蓮生法師。敵にてはなかりけり。跡弔ひて賜び給へ」といって消えていくのである。

話をアツモリソウに戻そう。直実の時代、武将は背中に流れ矢止めの装束母衣(ほろ)というものを纏っていた。馬が風に乗ると、この母衣がふくらんで、背後から飛んできた流れ矢の勢いをそぐのである。この母衣がふくらんだ形に、あるランの花の形が似ているというので、その花を「クマガイソウ」と名付けた。そしてクマガイソウと一対のものとして「アツモリソウ」という名も与えられたのである。

筆者の女友達の一人に、アツモリソウをこよなく愛するひとがいる。彼女は謡曲をたしなんでいるので、この薄幸の公達の名を冠した花が二重にいとおしく感ぜられるのだという。そんな彼女が、アツモリソウの群れをなして咲くという礼文島を、是非訪れたいと言い出した。礼文島といえば日本で最北の地にある島である。その島に、アツモリソウの一種で礼文アツモリソウという名の、ほのかな象牙色の花が毎年初夏に咲き乱れるというのである。

筆者たちには共通に付き合っている友達が10人ばかりいて、ほぼ毎年旅行を共にしている。その連中に声をかけて、彼女の望みをかなえるための旅行をしたのは、今年の6月なかばのことであった。

旅行には10人が集まった。男8人、女2人である。我々は羽田空港から飛行機に乗って千歳に至り、そこから貸切のマイクロバスに乗り込んで稚内に向かった。途中ニシン番屋などを見物しながら、その日は稚内のホテルに一泊し、翌日フェリーで礼文島に渡った。2時間ばかりの船旅だったが、船はさして揺れることもなく、我々はそろって礼文島の香深港に降り立ったのである。

島は日本の最北の海に浮かんでいる。南北に細長く、ほぼ全島山である。地形は変化に富んでいて、ところどころ深い碧をたたえた湖があり、様々な種類の野草が季節を彩る。エゾカンゾウ、コバケイソウ、ミヤマオダマキなどが咲いている。初夏から夏にかけては島がもっとも色彩豊かな時期だという。我々は丁度よい季節に来たのだった。

我々を乗せたバスは、島の東海岸を走り、クシュ湖という湖から山道に入ってスカイ岬についた。岬は切り立った崖となって海に突き出し、そこからは紺碧に光り輝く入江の水が見えた。筆者は昔見た小笠原南島のあの神秘的な海の色を思い出した。あの海の色は、それこそ紺碧という表現が足りないくらい、澄んだ輝きをもっていたが、どこか暖かさを感じさせた。ここの海の色はそれとはちがって、とがったような冷たさを感じさせたのであった。

スカイ岬の高台から低地へと下る途中、我々はついに、礼文アツモリソウの群生地というところへ立寄った。名称のとおり、かつては礼文アツモリソウが野原一面に咲き広がっていた所という。盗掘があとを絶たず、いまやその数は数えるくらいに減ってしまったそうだ。

柵越しに花のありかを探しているうちに目が慣れてきて、あちこちに二つ三つと、寄り添うようにして咲いている花を見つけた。ひとつひとつをよく見ると、色はほのかに黄色みがかった象牙色で、形は帆掛け舟の帆をふたつ向かい合わせたように見える。花の名のもとになった、あの母衣もまたこんな形をしていたのであろうか。

アツモリソウを愛してやまない彼女は、この花を見ることができただけでも、この最果ての島にまでわざわざやってきた甲斐があったと、感動を抑えきれない様子であった。





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