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吉田拓郎 妻恋コンサート


吉田拓郎といっても、今時の若い人たちにはぴんとこないかもしれない。1970年代の前半に活躍したミュージシャンで、日本のシンガーソングライターの草分けとされる男だ。比較的若くして表舞台を去ってしまったので、大方忘れられたと同様の存在だったが、中高年層を中心に、いまだに根強いファンを持っている。

その吉田拓郎が、齢60になるこの年、静岡県妻恋でのコンサートを行った。今から30年以上も前に、この同じ地で初めてコンサートを行った時には、6万人を超える聴衆を集め、伝説のコンサートなどとよばれていたが、今年も35000人が集まり、人気の健在を示した。

その様子はテレビでも放送されたので、吉田拓郎が嫌いではない筆者も、最初から最後まで見てしまった次第である。

まず、集まった人たちの顔ぶれを見て驚いた。大部分は筆者と変わらぬ、50代後半の男女である。いわゆる団塊の世代と、それに続く世代の人たちだろう。その連中がこのコンサートを聞くために、わざわざ遠方から集まり、老年の男の歌うさまに夢中になっている。若い聴衆とは違い、さすがに熱狂したりはしないまでも、自分と歌い手との一体感に酔いしれているかのようであった。

何が、彼らを、そこまで駆り立てたのか。いささか考え込んでしまったところだ。

吉田拓郎が登場するまで、日本の音楽といえば、相変わらず演歌が中心だった。グループサウンズやらポップミュージックなど新しいものも出てきてはいたが、大方はアメリカ音楽の受け売りのようなもので、底の浅いものが多かった。グループサウンズとはいっても、ハーモニーの体をなさず、子供の合唱のようなものばかりだった。

ところが、吉田拓郎の歌には、それまでの日本語の歌にはない新しいものがあった。メロディやリズムには、時代離れしたところはなく、むしろ鼻歌を聞くような気軽さもあるのだが、その歌い方が、それまでの歌のあり方を大きくはみ出ていたのである。

「結婚しようよ」や「旅の宿」など、吉田の代表曲を聞くと、ひとつの音節(音符)に二つの音(音韻)をあてている場合が多い。その結果、英語の歌のように、たたみかけるような緊張が生ずることとなる。旋律とリズムとが複雑に交差し、歌そのものに、陰影ともいうべきものが生じているのである。

それまでの日本の歌は、音節とリズムとがそのまま対応していたために、日本語そのものの持つ内在的な性質からして、のんびりと、時には間の抜けたものになりがちだったのを、吉田はそこに、関節はずしのような手法を持ち込むことによって、日本語を以て歌う歌に、新しい可能性を持ち込んだのだった。

これが当時の若い世代に受けたのだろう。吉田以降、シンガーソングライターが、雨後の筍のように現れ、みな吉田を真似て、新しい歌い方を追求した。今日の日本の歌は、一世代前とはだいぶ様子が変わってしまったが、その礎ともなったのが、吉田の歌だったのだろうと思う。

だが、吉田拓郎には、こんな説明では割り切れない魅力がある。


関連サイト: 日々雑感

  • ペンギンの愛と川嶋あいの歌






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