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双面の埴輪(表裏二つの顔)


和歌山県岩橋千塚山古墳群(前方後円墳)の遺蹟の中から、6世紀前半のものと見られる双面の埴輪の顔が見つかった。数年前の発掘作業の過程で出土した埴輪の断片を復元しているうちに、現れてきたという。頭部と首からなり、高さは19センチほど、新聞に掲載された写真でその表情をみると、素朴ななかにも力強い印象が伝わってきて、古代人の想像力が思いやられる。

表裏二つの顔は、どちらが表で、どちらが裏か、製作者の意図を知りうべくもないが、一つは犬のように円い目をした穏やかな表情であり、いま一つは釣りあがった目と引き締めた口とで険しい表情を呈している。

埴輪に双面のものが見つかったのは、これが始めてだという。どんな意図でこんなものを作ったのかは、今後の研究に待つしかないが、埴輪に限らず、日本の文化には、双面が活躍するようなものを見聞したことがない。仏像の中には、阿修羅像や十一面観音のようなものもあるが、それらは仏教受容以後のことに属し、かつ双面ではなく多面というべきものなので、双面の意義を考える際の参考にはならないだろう。

双面といえば、まず思い起こされるのは、ローマ神話に出てくるやヤヌス神だ。二つの顔のうち、一つは過去を向き、一つは未来を向くという。過去と未来の狭間に立っているので、境界の神ともいわれ、物事の始まりと終わりの接点をつかさどるともされた。こんなことから、暦の中では、一年の始まりの月、つまり1月の名としてあてがわれることともなった。英語でJanuary, フランス語でJanvier, ロシア語でЯнварьといっているのは、みなヤヌスの名に由来しているのである。

筆者はよく知らないのであるが、インドの神話にも双面の神が出てくるらしい。ほかの文化にも似たような神話があるのかもしれない。

双面にせよ何にせよ、民族の想像力のうちに根ざしたものがないと、それが文化的な広がりをみせることは期待できないものだ。そこで、日本で双面の文化が広がらなかったのは、そもそも民俗の想像力のうちになかったからなのだと、思いがちなのであるが、そこにこんなものが出てきたのである。

日本の古墳時代において、このような面が作られたのは、どういう意味合いからなのか。一時的な、孤立した現象としての、気まぐれの賜物だったのか。それとも何かほかに、原動力のようなものがあったのか。是非、その辺を知りたいものだ。

日本の神話には、ヤマタノオロチのような多頭の怪物は出てくるが、前後に二つの顔を持つ生き物の話は、人間を含めて出てこない。この埴輪が作られた6世紀前半といえば、大陸の文化が入り込む前であったろうから、日本人の心性は、それこそ純粋な大和魂だっただろう。その大和魂が、どのような事情で、この双面に結実したか、興味は尽きるところを知らないのである。

この面を虚心に見る限りにおいては、喜びと怒り、豊穣と不足、明と暗といった対立を表現しているように思える。一つの頭に、相対立する部分を抱え込んでいるところは、混沌や両義性といった、人間本来の姿を暗示させているかのようでもある。文化人類学者たちが飛びつきそうな素材だ。


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