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説経「しんとく丸」(観音信仰と被差別者の絶望と救済)


説経「しんとく丸」は、継母の呪によって宿病に侵された者の、絶望と救済の物語である。宿病のなかでも癩病は、近年までも厳しい差別にさらされてきたのであるが、中世においては、それこそ禁忌の対象として、社会からの追放と孤立を意味した。こうした境遇に陥った主人公が、天王寺を舞台にして、女性の献身的な愛と観音の霊力によって救われるという物語である。

天王子は、清水寺とならんで、中世における観音信仰の一大霊場であった。また、浄土信仰の拠点でもあり、その西門は極楽の東門に通ずるといわれた。このようなことから、庶民の厚い信仰を集めるとともに、社会から脱落した者たちの最後の拠り所ともなった。いわば、差別され迫害を受ける者たちにとっての、アジールとしての機能を果たしていたのである。

天王寺にはまた、ささら乞食やあるき巫女などの、下層の芸能民が集まり、祈りに来た民衆を相手に芸を売っていたとされる。説経「しんとく丸」は、天王寺を拠点に活動していた、このような芸能民が生み出した作品ではないかと思われるのである。

同じような題材を扱った能の作品に、「弱法師」がある。世阿弥の長男元雅の作であるが、ストーリーは単純化され、主人公の孤立や絶望は、説経におけるほど、くどくどしく描かれていない。どちらが先というのではなく、恐らく天王寺の乞食たちの間で語られていた原物語が、能と説経に別々に取り上げられたものと推測される。

説経の物語は、主人公しんとく丸の出生の因縁を語ることから始まる。父母が清水に申し子をした結果、前世の宿業を許されて子を授かるというものである。このような申し子の話は、中世の物語に数多く出てくるが、ここでは観音に申し子をするという点が重要で、全編が観音信仰に彩られているこの作品のポイントとなっている。

しんとく丸の不幸は、実母が自らの傲慢により、観音に罰せられて死ぬことから始まる。後妻となった継母は、自分の子が可愛さに、しんとく丸に呪をかけるのである。それも、しんとく丸に生を与えた観音に、その命を取ってくれと頼む。

「いたはしや、しんとく丸は、母上の御ために、御経読うでましますが、祈るしるしの現れ、その上呪強ければ、百三十六本の釘の打ちどより、人のきらひし違例となり、にはかに両眼つぶれ、病者とおなりある」

父の信吉は、しんとく丸が違例者の姿になったのを知り、「長者の身にて、あれほどの病者が、五人十人あればとて、育みかねべきか、一つ内にいやならば、別に屋形を建てさせ、育み申そう、しんとくを」というが、妻の拒絶にあい、ついには、下人に申し付けて、天王寺に捨てさせる。

「いたはしや若君は、不思議さよとおぼしめし、枕を探り御覧ずれば、不思議の物をこれ探る、金桶、小御器、細杖、円座、蓑、笠、これ探る、さてはたばかり、お捨てあったは治定なり、例へば御捨てあらうとも、捨てるところの多いに、天王寺にお捨てあったよ、曲もなや、蓑と笠とは、雨、露しのげと、これは父御のお情けか、杖は道のしるべなり、円座は、馬場先に出で、花殻請へと、これは仲光が教へかな、この小御器では、天王寺七村をそでごひせよと、これは継母の教へかな、たとひ干死(ひじに)を申せばとて、そでごひとて申すまいと、聖きっておはします」

深い絶望に閉ざされたしんとく丸は、しかし、清水の観音の夢のお告げに従って、蓑、笠を肩にかけ、町屋をそでごひして歩く。痩せ細ってよろめくしんとく丸を見て、人々は、弱法師と異名をつけるのである。

ふたたび夢に現れた観音の教えに従い、しんとく丸は熊野の湯に向かう。熊野の湯は昔から病者を癒すとされていた。亡者となった小栗判官も、熊野の湯で蘇生したのであった。

熊野の湯に向かう途中、しんとく丸は、施行を受けようとして、かげやま長者の館に立ち入り、そこで長者の娘乙姫と運命的な再会をする。

違例者となる前、しんとく丸は天王寺の舞楽の場で乙姫を見初め、恋文を送っていた。乙姫もしんとく丸の気持ちに応えて返し文を認めたまではよかったが、継母の呪によって二人の恋は中断していたのだった。

しんとく丸は、己の目が見えぬために、かつての恋人の前に恥をさらすことになったと、深い絶望に襲われながら、天王寺へと舞い戻っていく。一方、乙姫のほうは、かつての思い人が違例者と成り果ててもなお、愛を失わないまでか、その愛を貫こうとする。その決意の言葉は、凛然とした女性の持つ美しさを感じさせるのである。

「なう、いかに父御さま、承ればしんとく殿、人のきらひし三病者となり、諸国修行と承る、お暇賜れ、夫の行方を尋ねうの、父母いかに」

かくして、乙姫は夫と定めたしんとく丸の行方を追って、「さて自らは、見目がよいと承る、姿を変へて尋ねんと、後に笈摺、前に札、巡礼と姿を変へ、」放浪の旅に出る。この順礼の姿は、観音信仰に身をささげる放浪者の象徴である。中世の世、天王寺に拠り所を求めた制外者たちの多くは、男は聖の衣服をまとい、女は順礼の姿をとっていたのだろうか。いづれにしても、制外者と身を変えることまでして、愛するもののために献身する。女性の純真な心情こそが、この作品に類希な色合いを添えているのである。

女性の献身は、「さんせう太夫」の安寿姫や、「をぐり」の照手姫に見られるように、説経の大きなテーマであった。女性の愛によって、絶望した者が救済されるという構図は、説経にとどまらず、中世文学を貫いている縦糸のようなものである。その女性の愛とは、いいかえれば、観音の慈悲が人間の姿を通じて現れたものなのであろう。少なくとも、中世を生きた人びとには、そう確信されたに違いない。

この作品の最大の聞かせ場は、天王寺における、乙姫としんとく丸の再会の場面である。

天王寺いせん堂に御参りした乙姫が、「鰐口ちゃうど打ち鳴らし、願はくは夫のしんとく丸に、尋ねあはせてたまはれ」と請願すると、うしろ堂より、しんとく丸が弱った声で、「旅の道者か、地下人か、花殻たべ」と物乞いにあらわれる。乙姫はやっと会えたしんとく丸に抱きついて、お名乗りあれと迫る。しんとく丸はうろたえて、「旅の道者か、さのみおなぶりたまひそよ、盲目杖にとがはなし、そこのきたまへ」と、自らの姿を恥じるのみなのを、乙姫は流涕こがれながらも抱きしめるのである。

かように、この場面は、乙姫の姿に体現された観音の慈悲が、哀れなものに救いを差し伸べる象徴的な場面となっている。癩病に身をおかされたしんとく丸を抱きかかえて肩にかけ、町屋をそでごひして歩く乙姫の姿は、観音の化身と見えたであろう。

一曲の最後は、観音の夢の告げにしたがって、乙姫がしんとく丸を再生させる場面である。

「乙姫かっぱと起きたまひ、あらありがたの御夢想やと、御前三度伏し拝み、御下向なさるれば、一のきざはしに、鳥箒のありけるを、たばり下向申し、埴生の小屋に下向あり、しんとく丸をひったて、上から下、下から上へ、善哉なれと、三度なでさせたまへば、百三十五本の釘、はらりと抜け、元のしんとく丸とおなりある。」

蘇生したしんとく丸が、自分を陥れた継母に復讐するのは、説経の常道とおりであるが、この作品においては、復讐は大した意味を持たされていない。

筆者が思うに、作品が訴えかけているのは、乙姫の愛と、それが奇跡としてもたらしたものである。更には、人間が持ちうる尊い感情と、それを見守る観音の深い慈悲である。


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