能「屋島」(世阿弥の勝修羅物:平家物語)

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能「屋島」は、世阿弥の書いた修羅能の傑作である。世阿弥は三番目物と同じく、修羅物も得意とし、他に、通盛、敦盛、清経などの傑作を作っている。その中で屋島は、源平合戦における義経の勇敢な戦いぶりを描いたもので、勝修羅と呼ばれる。田村、箙とならんで三大勝修羅とされ、徳川時代には武家たちにことのほか喜ばれた。

義経の戦振りを描いていることから察せられるように、晴れやかさと躍動感に満ちている。前段も人をあきさせないが、後段に至っては、舞台狭しと駆け回る義経の勇姿が観客を圧倒するほどである。全曲に渡って隙がなく、完成度の高い作品である。世阿弥も生前自信をもっていたといわれる。

世阿弥はこの作品を、平家物語巻十一に取材した。那須与一や佐藤兄弟の話などもあり、読んで楽しい部分である。世阿弥はこの中から、平家方の武将景清と義経自身を取り上げ、スポットライトをあてた。そして、前段では景清の勇猛振りを称え、後段では波に浚われた弓を命がけで取り戻す、義経の天晴れ振りを描いている。

劇的な変化に富んだ作品なのであるが、構成上は、複式夢幻能の形式の中に収めている。前段では土地の漁夫が現れて、屋島の戦を回想し、後段では義経の亡霊が勇ましく登場するという具合である。そして、亡霊は旅の者たちの眼前で華々しく活躍してみせるのだが、それは実は旅の者たちが夢にした幻だったという、ドラマチックな展開をたどる。

なお、この曲を、作者の世阿弥は「義経」と称していた。後に「八島」と呼ばれるようになったが、観世流では戦いの舞台からとって「屋島」といっている。

舞台にはまず、都の僧を名乗る旅の者三人が登場する。(以下、テキストは「半魚文庫」を活用)

ワキ、ワキツレ二人次第「月も南の海原や。月も南の海原や。八島の。浦を尋ねん。
ワキ詞「これは都方より出でたる僧にて候。我いまだ四国を見ず候ふほどに。此度思ひたち西国行脚とこゝろざし候。
道行三人「春霞。浮き立つ浪の沖つ舟。浮き立つ浪の沖つ舟。入日の雲も影そひて。其方の空と行くほどに。はるばるなりし舟路へて。八島の浦に着きにけり八島の浦に着きにけり。
ワキ詞「急ぎ候ふ程に。これは早讃岐の国八島の浦に着きて候。日の暮れて候へば。これなる塩屋に立ち寄り。一夜を明かさばやと思ひ候。

ここで、漁夫に扮したシテと、ツレが登場する。

シテサシ一声「おもしろや月海上に浮んでは波涛夜火に似たり。
ツレ「漁翁夜西岸にそうて宿す。
二人「あかつき湘水を汲んで楚竹を焚くも。今に知られて芦火のかげ。ほの見えそむるものすごさよ。
シテ「月の出汐の沖つ波。
ツレ「霞の小舟。漕がれ来て。
シテ「海士の。よびこゑ。
二人「里ちかし。
シテサシ「一葉万里の舟の道。唯一帆の風に任す。
ツレ「夕の空の雲の浪。
二人「月のゆくへに立ち消えて。霞に浮ぶ松原の。影は緑にうつろひて。海岸そことも知らぬ火の。筑紫の海にやつゞくらん。
下歌「こゝは八島の浦づたひ海士の家居もかず/\に。
上歌「釣のいとまも波の上。釣のいとまも波の上。かすみわたりて沖ゆくや。海士の小船の。仄々と。見えて残る夕ぐれ。浦風までものどかなる。春や心をさそふらん春や心をさそふらん。
シテ詞「まづ/\塩屋に帰り休まうずるにて候。

シテは、舞台の上の床机に腰掛け、塩屋の中で休む仕草をするところへ、ワキが一夜の宿を求めて声をかける。ツレが間に入って、ワキとシテとの取次ぎをするが、シテは始めは見苦しい宿であることを理由に許そうとしない。だが、旅の者たちが京から来たことを知ると、懐かしく主って中に入れる。

ワキ詞「塩屋の主かへりて候。立ちこえ宿を借らばやと思ひ候。いかにこれなる塩屋の内へ案内申し候。
ツレ「誰にてわたり候ふぞ。
ワキ「諸国一見の僧にて候。一夜の宿を御かし候へ。
ツレ「暫く御待ち候へ。主に其由申し候ふべし。いかに申し候。諸国一見の僧の。一夜の御宿とおほせ候。
シテ「やすきほどの御事なれども。あまりに見ぐるしく候ふほどに。御宿は叶ふまじき由申し候へ。
ツレ「御宿の事を申して候へば。余りに見ぐるしく候ふほどに。叶ふまじき由おほせ候。
ワキ「いや/\見ぐるしきは苦しからず候。殊にこれは都方の者にて。此浦はじめて一見のことにて候ふが。日の暮れて候へば。ひらに一夜とかさねて御申し候へ。
ツレ「心得申し候。唯今の由申して候へば。旅人は都の人にて御入り候ふが。日のくれて候へば。ひらに一夜と重ねて仰せ候。
シテ「何旅人は都の人と申すか。
ツレ「さん候。
シテ「げに痛はしき御事かな。さらば御宿を貸し申さん。
ツレ「もとより住みかも芦の屋の。
シテ「たゞ草枕とおぼしめせ。
ツレ「しかも今宵は照りもせず。
シテ「曇りもはてぬ春の夜の。
シテツレ二人「朧月夜に。しく物もなき海士の苫。
地「八島に立てる高松の。苔の筵は痛はしや。
地歌「さて慰は浦の名の。さて慰は浦の名の。群れゐる田鶴を御らんぜよ。などか雲居に帰らざらん。旅人の故郷も。都と聞けばなつかしや。我等ももとはとてやがて涙にむせびけりやがて涙にむせびけり。

旅の者たちは、この浦が源平の合戦場だったことから、もしやその様子を知っているなら、ぜひ語って欲しいと漁夫にいうと、漁夫はおもむろに語り始める。話の内容は、海の平家と陸の源氏が向かい合う場面、平家の荒武者景清が、源氏の武将三保の谷に襲い掛かるところである。話が進むにつれ、シテとツレとが双者に成り代わり、互いに戦いの駆け引きを演ずる。前半の見せ場である。

ワキ詞「いかに申し候。何とやらん似合はぬ所望にて候へども。古此処は源平の合戦の巷と承りて候。よもすがら語つて御聞かせ候へ。
シテ詞「やすき間の事かたつて聞かせ申し候ふべし。
語「いで其頃は元暦元年三月十八日の事なりしに。平家は海のおもて一町ばかり舟を浮べ。源氏は此汀にうち出で給ふ。大将軍の御出立には。赤地の錦の直垂に。紫裾濃の御着背長。鎧ふんばり鞍かさにつゝ立ち上り。一院の御使。源氏の大将検非違使五位の尉。源の義経と名のり給ひし御骨がら。あつぱれ大将やと見えし。今のやうに思ひ出でられて候。
ツレ「其時平家の方よりも。言葉戦こと終り。兵船一艘漕ぎよせて。波打際に下り立つて。
詞「陸の敵を待ちかけしに。
シテ「源氏の方にも続く兵五十騎ばかり。中にも三保の谷の四郎と名のつて。真先かけて見えし所に。
ツレ「平家の方にも悪十兵衛景清と名のり。三保の谷を目懸け戦ひしに。
シテ詞「彼の三保の谷は其時に。太刀打ち折つて力なく。すこし汀に引き退きしに。
ツレ「景清追つかけ三保の谷が。
シテ詞「着たる兜の錏をつかんで。
ツレ「うしろへ引けば三保の谷も。
シテ「身を遁れんと前へ引く。
ツレ「互にえいやと。
シテ「引く力に。
地「鉢付の板より。引きちぎつて。左右へくわつとぞ退きにける。これを御覧じて判官。御馬を汀にうちよせ給へば。佐藤継信能登殿の矢先にかかつて馬より下に。どうど落つれば。舟には菊王も討たれければ。共にあはれと思ぼしけるか舟は沖へ陸は陣に。相引に引く汐のあとは鬨の声たえて。磯の浪松風ばかりの音さびしくぞなりにける。

漁夫の話があまりに真に迫ったものであるために、不思議に感じた旅の者は、本当は誰なのか、名を名乗れとせまるが、漁夫はあいまいな言葉を残したまま消え去っていく。

ロンギ地「不思議なるとよ海士人の。あまり委しき物語。其名を名のり給へや。シテ「我が名を何と夕浪の。引くや夜汐も朝倉や。木の丸殿にあらばこそ名のりをしても行かまし。
地「げにや言葉を聞くからに。其名ゆかしき老人の。
シテ「昔を語る小忌衣。
地「頃しも今は。
シテ「春の夜の。
地「潮の落つる暁ならば修羅の時になるべし其時は。我が名や名のらんたとひ名のらずとも名のるとも。義経の浮世の夢ばし覚まし給ふなよ夢ばしさまし給ふなよ。

(中入間)ここに、間狂言がはさまる。間狂言は普通、前段の荒筋をたどったりするのみで、話の進行に余り大きな影響を持たないことが多いのであるが、ここでは重要な役目を果たす。この塩屋の主人は自分であり、ワキたちが無断で入っていることを非難したことから、先ほどの漁夫たちが幽霊であったことがわかってくるのである。

旅の者たちは、先ほどの幽霊の言葉を反復し、その言葉通り、夢を待っていると、その夢の中に、勇ましい武将姿の義経が現れる。

ワキ詞「ふしぎや今の老人の。其名をたづねし答にも。よしつねの世の夢心。さまさで待てと聞えつる。
歌待謡「声も更け行く浦風の。声も更け行く浦風の。松が根枕そばだてゝ。思をのぶる苔筵。かさねて夢を待ちゐたり。かさねて夢を待ちゐたり。
後シテ一声「落花枝にかへらず。破鏡ふたたび照らさず。然れどもなほ妄執の瞋恚とて。鬼神魂魄の境界にかへり。我と此身を苦しめて。修羅の巷によりくる波の。浅からざりし。業因かな。
ワキ「ふしぎやな早暁にもなるやらんと。思ふ寝覚の枕より。甲冑を帯し見え給ふは。もし判官にてましますか。
シテ詞「我義経の幽霊なるが。瞋恚に引かるゝ妄執にて。なほ西海の浪にたゞよひ。生死の海に沈淪せり。
ワキ「おろかやな心からこそ生死の。海とも見ゆれ真如の月の。
シテ「春の夜なれど曇なき。心も澄める今宵の空。
ワキ「昔を今に思ひいづる。
シテ「舟と陸との合戦の道。
ワキ「所からとて。
シテ「忘れえぬ。
地歌「武士の。八島にいるや槻弓の。八島にいるや槻弓の。もとの身ながら又こゝに。弓箭の道は迷はぬに。迷ひけるぞや。生死の。海山を離れやらで。帰る八島の恨めしや。とにかく執心の。残りの海の深きよに。夢物語申すなり夢物語申すなり。

義経の亡霊は、弓箭の道には迷わぬ自分だが、いまだ生前の怨念がこの海山を離れないでいるので、こうしてさまよっているのだと述べる。そして、怨念を振り払うためであるかのように、かつての屋島での戦の様子を語る。

この部分は、クセの中で演じられるが、シテは始め床机に腰掛けて謡う。居グセの変形といえよう。

地クリ「忘れぬものを閻浮の故郷に。去つて久しき年波の。夜の夢路に通ひきて。修羅道の有様あらはすなり。
シテサシ「思ひぞいづる昔の春。
地「月も今宵にさえかへり。
地「本の渚はこゝなれや。源平互に矢先をそろへ。舟を組み駒をならべて打ち入れ/\足なみにくつばみを浸して攻め戦ふ。
シテ詞「其時何とかしたりけん。判官弓を取り落し。浪にゆられて流れしに。
地「其をりしもは引く汐にて。遥に遠く流れゆくを。
シテ詞「敵に弓を取られじと。駒を浪間におよがせて。敵船ちかくなりし程に。
地「敵はこれを見しよりも。船をよせ熊手にかけて。既にあやふく見え給ひしに。
シテ詞「されども熊手を切りはらひ。終に弓を取り返し。もとの渚にうちあがれば。
地「其時兼房申すやう。くちをしの御振舞やな。渡辺にて景時が申しゝも。これにてこそ候へ。たとひ千金を延べたる御弓なりとも御命には換へ給ふべきかと。涙を流し申しければ。判官これを聞しめし。いやとよ弓を惜むにあらず。
クセ「義経源平に。弓矢を取つて私なし。然れども。佳名は未だ半ならず。されば此弓を。敵に取られ義経は。小兵なりといはれんは。無念の次第なるべし。よしそれ故に討たれんは。力なし義経が。蓮の極と思ふべし。さらずは敵に渡さじとて浪に引かるゝ弓取の。名は末代にあらずやと。語り給へば兼房さて其外の。人までも皆感涙をながしけり。
シテ「知者は惑はず。
地「勇者は恐れずの。やたけ心の梓弓。敵には取り伝へじと。惜むは名のため惜まぬは。一命なれば。身を捨てゝこそ後記にも。佳名を留むべき弓筆の跡なるべけれ。
シテ「又修羅道の鬨の声。
地「矢叫びの音。震動せり。

この場面は、平家物語巻十一の義経弓拾いの部分を、ほぼそのままに引き写している。原文には、前後に名高い戦いの場面が散りばめられているのだが、世阿弥はあえてこの部分に、武将の心意気を感じ取ったのであろう。

(カケリ)ここから、キリにかけて、義経の勇壮なカケリがあり、曲は最高の盛り上がりを見せる。しかして、大団円へと向かってすすんでいく。

シテ詞「今日の修羅の敵は誰そ。なに能登の守教経とや。あらものものしや。手なみは知りぬ。思ひぞいづる壇の浦の。
地「其船軍今は早。其船軍今は早。閻浮にかへる生死の。海山一同に。震動して。舟よりは。鬨の声。
シテ「陸には波の楯。
地「月に白むは。
シテ「剣の光。
地「潮に映るは。
シテ「兜の。星の影。
地「水や空空ゆくもまた雲の波の。打ち合ひ刺し違ふる。船軍の懸引。浮き沈むとせし程に春の夜の浪より明けて。敵と見えしは群れゐる鴎。鬨の声と。聞えしは。浦風なりけり。高松の浦風なりけり。高松の朝嵐とぞなりにける。

「敵と見えしは群れゐる鴎。鬨の声と。聞えしは。浦風なりけり。」と、最後は夢から覚めた者たちの、呆然たる思いの中に余韻を引きずるかのように、一曲が閉じる。

なお、義経弓拾いの場面は、原文では次のようになっている。(テキストは延慶本)

―はうぐわんかつに乗て、馬のふとばらまで海へうちいれてせめつけたり。船よりくまでをもつて判官のかぶとにかけんとするを、判官は弓をば左の脇にはさみて、右手にてはたちを抜て、くまでをうちのけうちのけするほどに、いかがしたりけん、弓をとりはづして海へおとしいれたりけるを、かたきくまでにてかけうかけうとするをばしらず、馬のしたはらにのりおりて、さしうつぶきて、この弓をとらんとらんとしけれども、波にゆられてとられざりければ、岡より是を見て、「そのおんゆみすてさせ給へや。あれはいかにあれはいかに」とこゑごゑにののしりけれども、聞給わず。とかくしてむちにてかきよせて、つひに弓を取てあがりたまひたりければ、つはものくちぐちに申けるは、「しろかねこがねをまろめて作たる弓なりとも、いかでか御命にはかへさせ給べき。あなあさましの御心のつれなさや」と申ければ、判官、「や殿原、義経が弓と云はば、三人ばり五人ばりにてもあらばこそ、きこゆるげんじのたいしやうぐんの弓のつよさといふさたせられて、義経がめんぼくにてもあらめ。それだにも、『義経こそ平家のらうどうどもにせめつけられて、たへずして弓をおとしたりつるを取たる。これみよや。弓のよはさ、すがたのをろかさよ』なんど云て、ひろうせん事のくちをしさといひ、又鎌倉にきこえたまひて、『むげなりける者よ』と、思給わんも心うかるべければ、命にかへて取たりつるなり」と宣へば、人々是を聞て、「あなおそろしのごしんぢゆうや」と申て、舌をふるひて感じあへり。


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