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跳梁する悪党たち:中世的世界の形成


石母田正の労作「中世的世界の形成」は、伊賀国黒田荘を舞台に、東大寺による古代的な荘園支配が揺さぶられ、荘民たちによる権力の略取と自立を求める過程を描き出していた。やがては、この動きの中から、古代的な支配体制に替わる、封建的な仕組が生まれてくるのであるが、石母田はそこに、中世的世界の形成を読み取ったのであった。

この過渡期の擾乱の中から現れた、武装する荘民を、石母田は、悪党と呼んだ。悪党とは、石母田が取り上げた中世の混乱の時代にあって、支配者たる東大寺の側からいった言葉である。権力者の側からすれば、旧来の権威に挑戦し、秩序を乱そうとする輩をさした。彼らは東大寺の派遣した荘官を攻撃し、時には一揆を組んで東大寺に押しかけてきた。こうして次第に東大寺の権力を麻痺せしめ、ついには武装する集団となって、自立を深めていったのである。

こうした悪党の発生は、黒田荘に限らず、畿内やその周辺の各地において見られたということが、最近の研究で次第に明らかになってきた。古代的な荘園制度の解体が、広範囲にわたって進行したからだろう。

鎌倉時代の末期には、これら悪党たちの存在は、体制を脅かすほどのものになっていた。南北朝時代の動乱が始まると、彼らは私的な武装集団として、雇兵的な役割を演じ、勝敗の帰結に大きな影響を及ぼすようになる。名和長年や赤松円心などは、悪党の中の大物であり、かの楠正成も悪党と深いつながりを持っていたと思われる。

これら悪党たちのトレードマークに、バサラがあった。バサラはもともと非人の間の風俗であったものを、権威に挑戦する悪党たちが取り入れ、それがもとで社会の広い層にも広がっていった。

南北朝時代に書かれた播磨の地誌「峯相記」には、当時の悪党たちの風俗・振舞いが、次のように記されている。

「所々の乱妨、浦々の海賊、寄取、強盗、山賊、追落などやすむことのないありさまで、その異類異形のありさまといったら、およそ人間の姿とも思えない。柿色の帷子に女物の六方笠をつけ、烏帽子、袴をつけることはしない。持ち物といったら、不揃の竹矢籠を負い、柄、鞘の剥げた太刀を佩き、竹ナカヱ、サイハウ杖程度で、鎧、腹巻ほどの兵具などはまったくない。こうした輩が十人二十人あるいは城にこもり寄手に加わり、かといえば敵を引き入れ裏切りを専らにする始末で、約束などはものともしない。」(新井孝重「悪党の世紀」より引用)

独自の武力を持たない後醍醐天皇は、これら悪党たちの力を活用して、幕府に立ち向かった。建武の親政の頃には、これら悪党たちが都を跋扈し、そのバサラの風俗が、一躍都人の目を驚かしたのであった。

悪党たちは、主に畿内を拠点にしていたため、南朝方につくものが多かった。彼らは荘園領主たちとの戦いの中でつちかったゲリラ的な戦法を以て、幕府の大軍を苦しめた。天王山ともいうべき金剛山の戦いにおいては、神出鬼没な戦いぶりで幕府軍を打ち破ってもいる。

太平記を彩る奇怪な人物像の多くは、悪党たちと深いかかわりを持ち、また自ら悪党の面を被っている者もいたのである。


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