能「田村」(坂上田村麻呂と清水寺縁起)

| コメント(0) | トラックバック(1)

能「田村」は、坂上田村麻呂を主人公にして、清水寺創建の縁起物語と田村麻呂の蝦夷征伐を描いた作品である。観音の霊力によって敵を蹴散らす武将の勇猛さがテーマとなっており、明るく祝祭的な雰囲気に満ちた作品である。屋島、箙とともに、三大勝修羅とされ、祝言の能としても演じられてきた。

坂上田村麻呂は奈良時代末期に活躍した武人。その功績については、改めて語るまでもあるまい。平安時代以降、武人の鏡として尊敬を集め、多くの伝説を生んだ。清水寺の創建もその一つといえるが、これには史実の裏づけがある。

今昔物語集巻十一や扶桑略記によれば、清水寺は、宝亀十一年(780)坂上田村麻呂が創建したことになっている。田村麻呂は妻の病気の薬になるという鹿の血を求めて、音羽山に入り込んだ際、そこで修行中の僧延鎮に出会い、殺生を戒められた。田村麻呂はそれを機に仏に帰依してこの寺を創建したという。

延鎮はもと大和国子島寺の僧侶であったが、夢のお告げに従って音羽山に入り、そこで何百年も修行しているという行叡居士と出会う。行叡居士は、後を延鎮に託して去り、延鎮は行叡居士の残していった霊木に観音の像を掘り込んで祀った。これが清水寺のそもそもの由来なのであるとされている。

能では、清水寺の創建を大同二年(806)、延鎮を賢心としているが、筋においては、今昔物語集などの記するところとおおむね異ならない。

構成は複式夢幻能の体裁。前段は清水寺創建の縁起物語、後段は坂上田村麻呂の蝦夷征伐の戦いぶりが描かれている。前段では童子の姿となった田村麻呂の幽霊が登場し、後段では若々しい武将姿の田村麻呂が勇壮な舞を運ずる。

なお、この能の作者については、世阿弥の作とする説や、世阿弥以前の作品に世阿弥が手を加えたとする説などがあるが、真偽は明らかでない。

舞台にはまず、東国方の僧とその従者合わせて三名が登場する。(以下、テキストは「半魚文庫」を活用。)

ワキ、ワキツレ二人次第「鄙の都路隔て来て。鄙の都路隔て来て。九重の春に急がん。
ワキ詞「これは東国方より出でたる僧にて候。我未だ都を見ず候ふ程に。此春思ひ立ちて候。
道行三人「頃もはや。弥生なかばの春の空。弥生なかばの春の空。影ものどかに廻る日の。霞むそなたや音羽山。瀧の響も静かなる。清水寺に着きにけり。清水寺に着きにけり。
ワキ詞「急ぎ候ふ程に。是は都清水寺とかや申すげに候。是なる桜の盛とみえて候。人を待ちて委しく尋ねばやと思ひ候。

ここで、童面に長髪の少年が箒を携えて現れ、木陰を掃くしぐさをする。修羅能の前段に童子が出てくるのはめずらしく、この曲の最大の特徴をなしている。少年を登場させることで、作品全体の雰囲気を明るいものにしようとの、作者の意図が働いたのだろう。

シテ一セイ「おのづから。春の手向となりにけり。地主権現の。花ざかり。
サシ「それ花の名所多しといへども。大悲の光色添ふ故か。この寺の地主の桜にしくはなし。さればにや大慈大悲の春の花。十悪の里に芳しく。三十三身の秋の月。五濁の水に。影清し。
下歌「千早振。神の御庭の雪なれや。
上歌「白妙に雲も霞も埋れて。雲も霞も埋れて。いづれ。桜の梢ぞと。見渡せば八重一重げに九重の春の空。四方の山なみ自ら。時ぞとみゆる気色かな。時ぞとみゆる気色かな。
ワキ詞「いかにこれなる人に尋ね申すべき事の候。
シテ詞「こなたの事にて候ふか何事にて候ふぞ。
ワキ「見申せばうつくしき玉箒を持ち。木蔭を清め候ふは。若し花守にて御入り候ふか。
シテ「さん候これはこの地主権現に仕へ申す者なり。いつも花の頃は木蔭を清め候ふほどに。花守とや申さん又宮つことや申すべき。いづれによしある者と御覧候へ。
ワキ「げに/\よしありげに見えて候。まづ/\当寺の御来歴。委しく語り給ふべし。

シテがいう地主権現とは、清水寺の鎮守のことで、今も寺の境内にある。だから、「花守とや申さん又宮つことや申すべき」と童子は言うのである。

ワキたちが、清水寺の由来を尋ねると、童子は清水寺創建にかかわる伝説を語る。

シテ詞「そも/\当寺清水寺と申すは。大同二年の御草創。坂上の田村丸の御願なり。昔大和の国子島寺といふ所に。賢心といへる沙門。正身の観世音を拝まんと誓ひしに。ある時木津川の川上より金色の光さしゝを。尋ね上つて見れば一人の老翁あり。かの翁語つていはく。我はこれ行叡居士といへり。汝一人の檀那を待ち。大伽藍を建立すべしとて。東をさして飛び去りぬ。されば行叡居士といつぱ。これ観音薩陀の御再誕。又檀那を待てとありしは。これ坂の上の田村丸。
地上歌「今もその。名に流れたる清水の。名に流れたる清水の。深き誓も数々に。千手の。御手のとりどり様々の誓普くて国土万民を漏らさじの。大悲の影ぞありがたき。げにや安楽世界より。今この娑婆に示現して。我らが為の観世音。仰ぐも愚かなるべしや。仰ぐも愚かなるべしや。

ついで、ワキに問われるまま、シテの名所案内がある。能「熊野」における名所巡りと同様の、観客サービスである。

ワキ詞「近頃おもしろき人に参り逢ひて候ふものかな。又見え渡りたるは皆名所にてぞ候ふらん。御教へ候へ。
シテ詞「さん候皆名所にて候。御尋ね候へ教へ申し候ふべし。
ワキ「まづ南に当つて塔婆の見えて候ふは。いかなる所にて候ふぞ。
シテ「あれこそ歌の中山清閑寺。今熊野まで見えて候へ。
ワキ「また北に当つて入相の聞え候ふはいかなる御寺にて候ふぞ。
シテ「あれは上見ぬ鷲の尾の寺。や。御覧候へ音羽の山の嶺よりも出でたる月の輝きて。この地主の桜に映る景色。まづ/\これこそ御覧じ事なれ。
ワキ「げに/\これこそ暇惜しけれ。こと心なき春の一時。
シテ「げに惜むべし。
ワキ「惜むべしや。
シテワキ二人「春宵一刻価千金。花に清香。月に影。
シテ「げに千金にも。かへしとは。今此時かや。
地「あら/\面白の地主の花の景色やな。桜の木の間に漏る月の。雪もふる夜嵐の。誘ふ花とつれて散るや心なるらん。
クセ「さぞな名にしおふ。花の都の春の空。げに時めける粧青楊の影緑にて。風邪のどかなる。音羽の瀧の白糸の。くり返しかへしても面白やありがたやな。地主権現の。花の色も異なり。
シテ「たゞ頼め。標茅が原のさしも草。
地「我世の中に。あらんかぎりはの御誓願。濁らじものを清水の。緑もさすや青柳の。げにも枯れたる木なりとも。花桜木の粧いづくの春もおしなめて。のどけき影は有明の。天も花に酔へりや。面白の春べや。あら面白の春べや。

山々を彩る桜を背景に、次々と名所を語っていくこの場面は、前半の趣向をなす部分で、謡曲として聞いても面白い部分だ。

童子のただならぬ様子に、いったい如何なる人かと謎が高まったとき、童子は思わせぶりな言葉を残して、田村堂のうちへと消えていく。

ロンギ地「げにやけしきを見るからに。たゞ人ならぬ粧のその名いかなる人やらん。
シテ「いかにとも。いさやその名も白雪の。跡を惜まば此寺に帰る方を御覧ぜよ。
地「帰るやいづくあしがきの。ま近きほどか遠近の。
シテ「たづきも知らぬ山中に。
地「おぼつかなくも。思ひ給はゞわが行く方を見よやとて。地主権現の御前より。下るかと見えしが。くだりはせで坂の上の田村堂の軒もるや。月のむら戸を押しあけて。内に入らせ給ひけり内陣に入らせ給ひけり。

(中入間)間狂言では、門前の者が現れて、清水寺の縁起を復唱して去り、その後、ワキたちによる待歌に乗って後シテが登場する。若者の面と長髪のいでたちである。

ワキ三人歌待謡「夜もすがら。ちるや桜の蔭に居て。ちるや桜の蔭に居て。花も妙なる法の場。迷はぬ月の夜と共に。此御経を。読誦するこの御経を読誦する。
後シテ一声「あら有難の御経やな。清水寺の瀧つ波。一河の流を汲んで。他生の縁ある旅人に。言葉を交す夜声の読誦。是ぞ則ち大慈大悲の、観音擁護の結縁たり。
ワキ「ふしぎやな花の光にかゝやきて。男体の人の見え給ふは。いかなる人にてましますぞ。
シテ「今は何をかつゝむべき。人皇五十一代。平城天皇の御宇に有りし。坂上の田村丸。

シテは、自分こそ田村麻呂その人だと名乗り、かつての戦いの様子を再現して舞う。

地「東夷を平げ悪魔を鎮め。天下泰平の忠勤たりしも。即ち当時の仏力なり。サシ「燃るに君の宣旨には。勢州鈴鹿の悪魔を鎮め。都鄙安全になすべしとの。仰によつて軍兵を調へ。既に赴く時節に至りて。此観音の仏前に参り。祈念を致し立願せしに。
シテ「不思議の瑞験あらたなれば。
地「歓喜微笑の頼を含んで。急ぎ凶徒に。打つ立ちけり。
クセ「普天の下。卒土の内いづく王地にあらざるや。やがて名にしおふ。関の戸さゝで逢坂の。山を越ゆれば浦波の。粟津の森やかげろふの。石山寺を伏し拝み是も清水の一仏と。頼はあひに近江路や。勢田の長橋ふみならし駒も足なみ勇むらん。
シテ「すでに伊勢路の山近く。
地「弓馬の道もさきかけんと。勝つ色みせたる梅が枝の。花も紅葉も色めきて。猛き心はあらがねの。土も木もわが大君の神国に。もとより観音の御誓仏力といひ神力も。なほ数数にますらをが。待つとは知らでさを鹿の。鈴鹿の禊せし世々までも。思へば嘉例なるべし。さるほどに山河を動かす鬼神の声。天に響き地に満ちて。万木青山動揺せり。

(カケリ)颯爽とした舞についでカケリがある。「祝言のカケリ」といわれ、祝祭的な雰囲気にあふれたカケリである。しかして、キリに向かって派手な所作が続き、局はシンフォニーの終末を思わせるように、異常な高まりを見せる。

シテ詞「いかに鬼神もたしかに聞け。昔もさるためしあり。千方といひし逆臣に仕へし鬼も。王位を背く天罰にて。千方を捨つれば忽ち亡び失せしぞかし。ましてやま近き鈴鹿耶麻。
地「ふりさけ見れば伊勢の海。ふりさけ見れば伊勢の海。阿濃の松原むらだち来つて。鬼神は。黒雲鉄火をふらしつゝ。数千騎に身を変じて山の。如くに見えたる所に。
シテ「あれを見よ不思議やな。
地「あれを見よ不思議やな。味方の軍兵の旗の上に。千手観音の。光をはなつて虚空に飛行し。千の御手ごとに。大悲の弓には。知恵の矢をはめて。一度放せば千の矢先。雨霰とふりかゝつて。鬼神の上に乱れ落つれば。ことごとく矢先にかゝつて鬼神は残らず討たれにけり。ありがたしありがたしや。誠に呪詛。諸毒薬念彼。観音の力をあはせてすなはち還着於本人。すなはち還着於本人の。敵は亡びにけり。これ観音の仏力なり。

このように、一曲は観音の仏力を称えながら終わる。曲にもあるように、清水寺の本尊は千手観音である。田村麻呂は、千手観音の千本の手がそれぞれに武器を繰り出し敵を討ったことによって、輝かしい勝利を収めえたのであった。


関連リンク: 能と狂言能、謡曲への誘い

  • 能「田村」(坂上田村麻呂と清水寺縁起)

  • 能「小鍛冶」(三条宗近と稲荷霊験譚)

  • 能「熊野」(春の花見)

  • 能「融」(世阿弥の幽玄能)

  • 能「屋島」(世阿弥の勝修羅物:平家物語)

  • 能「菊慈童」(枕慈童:邯鄲の枕の夢)

  • 翁:能にして能にあらず

  • 能「海人」(海士:龍女伝説と母の愛)

  • 能「百萬」(嵯峨女物狂:母子の生き別れと再会)

  • 能「羽衣」(天女伝説)

  • 高砂:世阿弥の脇能




  • ≪ 能「小鍛冶」(三条宗近と稲荷霊験譚) | 能と狂言 | 能「国栖」(壬申の乱と天武天皇) ≫

    トラックバック(1)

    トラックバックURL: http://blog.hix05.com/cgi/mt/mt-tb.cgi/107

      この1年半程の間で読んだ本の中で私が繰り返し読んでいるものがいくつかあるが、その中でもお気に入りだったのは、高橋克彦氏の『火怨』という大河小... 続きを読む

    コメントする



    アーカイブ

    Powered by Movable Type 4.24-ja

    本日
    昨日

    この記事について

    このページは、が2007年2月10日 14:30に書いたブログ記事です。

    ひとつ前のブログ記事は「山部赤人:恋の歌(万葉集を読む)」です。

    次のブログ記事は「アンナ・ポリトコフスカヤの勇気ある生涯」です。

    最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。