能「国栖」(壬申の乱と天武天皇)

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能「国栖」は、壬申の乱に題材をとった物語性豊かな作品である。壬申の乱自体、古代の王権を巡る戦いとしてドラマ性を帯びた事件であったが、ことが王権にかかわるだけに憚り多いうちにも、この作品はその辺の事情を踏まえて、演劇的な構成に纏め上げられている。現代人にもわかりやすく、人気のある能の一つである。

壬申の乱は天智天皇の死後に発生した内乱である。天智の弟大海人皇子は、一旦身を引いて吉野に移り、そこで挙兵の準備を進めた後、都(近江)に攻め上って、天智の子大友皇子を倒した。大海人皇子は勝利の後、飛鳥浄見原を都に定めて即位、天武天皇となる。

能は、大海人皇子の吉野への移動を主題に取り上げる。大海人皇子はまだ子どもとして設定され、伯父に追われる立場にある。その皇子を土地の老夫婦が匿い、鮎を献上して皇子の飢えをしのいでやったり、迫る追っ手を威嚇して追い返したりする。そのやり取りが生き生きとして、作品に活気をもたらしている。

題名にある国栖とは、吉野山中に住む土着の民をさしていった言葉である。神武東征以来、朝廷に歯向かった者として差別されていたらしい。この国栖と天武天皇を結びつけたところに、作品の趣向がある。

曲中、皇子の召した鮎の半身が再び生き返って、清流を泳ぐ場面が出てくる。これは瑞祥であるから、皇子はきっと都へ還御されるだろうと、奇跡に事寄せて大海人皇子の勝利を予想する。こうした内容から見ると、国栖の民は壬申の乱において大海人方に味方し、一定の功績を上げたのだろう。

作者は不詳だが、おそらく世阿弥以前の古い能と思われる。現行曲は前後二段からなっているが、後段は殆どが喜びの舞のみであるから、実質的には一場と異ならない。世阿弥以降手を加えられて、今日のような形になったのであろう。

大和の猿楽は、当然吉野とも深い縁があったから、吉野に伝わる国栖の伝説を、能に取り入れたのかもしれない。

舞台にはまず、大海人皇子の子方と従者たちが現れる。(以下、テキストは「半魚文庫」を活用)

ワキ、ワキツレ一セイ「思はずも。雲居を出づる春の夜の。月の都の名残かな。
ワキ「道々たらば位山。
ワキワキツレ「上らざらめや。唯頼め。
ワキサシ「神風や五十鈴の古き末を受くる。御裳濯川の御流。やごとなき御方にておはします。
ワキワキツレ「此君と申すに御譲として。天津日嗣を受くべき所に。御伯父なにがしの連に襲はれ給ひ。都の境も遠田舎の。馴れぬ山野の草木の露。分け行く道の果までも。行幸と思へば頼もしや。
下歌「身を秋山や世の中の。宇陀の御狩場余所に見て。牡鹿伏すなる春日山。牡鹿伏すなる春日山。水層ぞまさる春雨の。音はいづくぞ吉野川。よしや暫しこそ。花曇なれ春の夜の。月は雲居に帰るべし。頼をかけよ玉の輿。頼をかけよ玉の輿。
ワキ詞「御急ぎ候ふ程に。いづくとも知らぬ山中に御着にて候。まづ此処に御座をなされうずるにて候。

従者たちは子方の身分をあからさまにはいわない。御譲とか天津日嗣とか遠まわしに匂わすだけで、「御伯父なにがしの連に襲はれ」ているのだと、婉曲な表現にとどめているのは、天子を憚ってのことである。

ここで、国栖の老夫婦が登場する。

シテ「姥や見給へ。
ツレ「何事にて候ふぞ。
シテ「あのおほぢが伏屋の上に。紫雲のたなびいたるを拝まい給うたか。
ツレ「げにげにあたりに紫雲たなびき。たゞならぬ空の気色やな。
シテ「あうたゞならぬ気色候ふよ。昔より天子の御座所にこそ。紫雲は立つと申せ。
詞「もしも不思議に尉が住家に。
ツレ「さやうの貴人やおはすらんと。
シテ「舟さしよせて我が家に帰り。
ツレ「見れば不思議やさればこそ。
シテ「玉の冠直衣の袖。
ツレ「露霜に萎れ給へども。
シテ「さすが紛れぬ御粧。
地「さもやごとなき御方とは。疑もなく白糸の。釣竿をさしおきて。そもやいかなる御事ぞ。かほど賎しき柴の戸の。暫しが程のおましにも。なりける事よいかにせんあら忝なの御事や忝なの御事や。

老夫婦は、伏屋の上に紫煙が漂っているのを見て、そこに天子がいることを見抜く。そして、脇座に腰掛けている一行に向かって訳を問うと、従者は追われている身なので匿って欲しいと頼む。

シテ詞「これはそも何と申したる御事にて候ふぞ。
ワキ「これはよしある御方にて御座候ふが。まぢかき人に襲はれ給ひ。これまで御忍びにて候。何事も尉を頼に思しめさるゝとの御事にて候。
シテ「さては由ある御方にて御座候ふか。幸これは此尉が庵にて候ふ程に。御心安く御休あらうずるにて候。
ワキ「いかに尉。面目もなき申し事にて候へども。此君二三日が程供御を近づけ給はず候。何にても供御にそなへ候へ。
シテ「其よし姥に申さうずるにて候。いかに姥聞いてあるか。此二三日が程供御を近づけ給はず候ふとの御事なり。何にても供御に奉り給へ。
ツレ「をりふしこれに摘みたる根芹の候。
シテ「それこそ日本一の事。われらもこれに国栖魚の候。これを供御に備へ申さうずるにて候。
ツレ「姥は余りの忝さに。胸うちさわぎ摘み置ける。根芹洗ひて老が身も。心若菜を揃へつゝ。供御に供へ奉る。それよりしてぞ三吉野の。菜摘の川と申すなり。
シテ詞「おほぢも色濃き紅葉を林間に焚き。国栖川にて釣りたる鮎を焼き。同じく供御に供へけり。
地「吉野の国栖といふ事も此時よりの事とかや。蓴菜の羮魯魚とても。これにはいかで勝るべき間近く参れ老人よ間近く参れ老人よ。

天子が二三日もの間何も食していないと聞いた老夫婦は、根芹、若菜、鮎を差し上げたところ、天子は食べ残した鮎の半身を老人に賜るという。喜んだ老人は鮎を食べるかわりにそれを川に放つ。すると鮎は生き返って泳ぎだすのである。

ワキ詞「いかに尉。供御の御残を尉に賜はれとの御事にて候。
シテ「あらありがたや候。さらばうち返して賜はらうずるにて候。
ワキ「そもうち返して賜はらうずるとは。何と申したる事にて有るぞ。
シテ「うち返して賜はらうずると申すこそ。国栖魚のしるしにて候へ。いかに姥。供御の残を尉に賜はれとの御事にて候ふが。此魚はいまだ生き/\と見えて候。
ツレ「げに此魚はいまだ生き/\と見えて候。
シテ「いざ此吉野川に放いて見やう。
ツレ「条なき事な宣ひそ。放いたればとて生き返るべきかは。
シテ「いや/\昔もさる例あり。神功皇后新羅を従へ給ひし占方に。玉島川の鮎を釣らせ給ふ。その如くこの君も。二度都に還幸ならば。此魚もなどか生きざらんと。
地「岩切る水に放せば。岩切る水に放せば。さしも早瀬の滝川に。あれ三吉野や吉瑞を。現す魚のおのづから。生き返るこの占方頼もしく思しめされよ。

この部分は「鮎の段」と呼ばれ、前半の見せ場である。

(早鼓)ここで早鼓が入り、場面の急転を知らせる。追っ手が迫ってきたのである。

老人夫婦が二人して舟を担いできて、その下に子方をかくすと、狂言方が現れて追っ手を演ずる。

ワキ詞「いかに尉。追手が掛りて候。
シテ詞「こなたへ御任せ候へ。いかに姥。あの舟舁いて来う。
ツレ「心得申し候。

狂言シカジカ(狂言方が、この山に浄見原の天皇が逃げ込んで来なかったかと、老人を問い詰める)

シテ「何清み祓。清み祓ならば此川下へ行け。

狂言シカジカ(老人がとぼけるのに対して、狂言は更に追求する)

シテ「偖は清見原とは人の名よな。あら聞き馴れずの人の名や。其上此山は。兜卒の内院にもたとへ。又五台山清涼山とて。唐土まで遠く続ける吉野山。隠れが多き所なるを。何処まで尋ね給ふべき。速に帰り給へ。

狂言シカジカ(狂言は、そこにある舟があやしいという)

シテ「何と舟が怪しいとや。これは乾す舟ぞとよ。

狂言シカジカ(いらだった狂言が舟をひっくり返して中を調べようとするのに対して、老人はすごい剣幕で反撃する)

ツレ「何と舟を捜さうとや。漁夫の身にては舟を捜されたるも家を捜されたるも同じ事ぞかし。身こそ賎しく思ふとも。此処にては翁もにつくき者ぞかし。孫もあり曾孫もあり。山々谷谷の者ども出で合ひて。あの狼藉人を打ち留め候へ打ち留め候へ。

狂言シカジカ(老人の余りの剣幕に舌を巻いた狂言は、別のところを探すべしといって、舞台から消える)

ツレ「なう聞し召せ追手の武士は帰りたり。
シテ「今はかうよとおほぢ姥は。
ツレ「嬉しや力を。
シテ「えいや。
二人「えいと。
地「舟引き起し尊体の。舟引き起し尊体の。御恙なく川舟の。かひある御命。助かり給ふぞ有難き。

無事危機を脱出した一行は一安心し、その後をシテによるクセが続く。

クリ「それ君は舟臣は水。水よく舟を浮むとは。此忠勤のたとへなり。
ワキ「ありがたやさしも姿は山賎の。
地「心は高き謀。げに貴賎にはよらざりけり。
ワキ「積善の余慶かぎりなく。
地「流たえせぬ御裳濯川。濁れる世には住み難し。
子方「されば君としてこそ。民をはごくむ習なるに。却つて助くる志。
上歌「身は宿善のかひぞなき。身は宿善のかひぞなき。一葉の舟の行末。蟠龍の雲居終になど。至らざらめや都路に。立ち帰りつゝ秋津州の。よしや世の中治まらば。命の恩を報ぜんと。綸言肝に銘じつゝ。夫婦の老人は忝さに泣き居たり。
クセ「さる程に。更け静まりて物凄し。いかにとしてか此程の御心慰め申すべき。しかも処は月雪の。三吉野なれや花鳥の。色音によりて音楽の。呂律の調琴の音に。峰の松風かよひ来る。天つ少女の返す袖。五節の始これなれや。

(中入)中入後、老夫婦は天女と蔵王権現にそれぞれ変身、優雅な天女の舞と勇壮な神舞を舞って一曲が終わる。

楽地「少女子が。少女子が。其唐玉の琴の糸。ひかれかなづる音楽に。神々も来臨し。勝手八所此山に。木守の御前蔵王とは。
後シテ「王を蔵すや吉野山。
地「即ち姿を現して。即ち姿を現し給ひて。天を指す手は。
シテ「胎蔵。
地「地を又指すは。
シテ「金剛宝石の上に立つて。
地「一足を引つ提げ東西南北十方世界の虚空に飛行して。普天の下。卒土の内に。王威をいかでか軽んぜんと。大勢力の力を出し。国土を改め治むる御代の。天武の聖代畏き恵。新たなりける。ためしかな。

このように、一曲は天武の聖代を賛美して終わる。

構成の上からすれば、中入は不要とも思われるし、クセの部分もとって付けたような印象を与える。おそらく原曲を再構成する過程で差し込まれたのであろう。

余談になるが、国栖をテーマにした文学作品に、谷崎潤一郎の小品「吉野葛」がある。歴史小説の取材のために吉野を訪れた主人公が、吉野川を遡って国栖へと足を運ぶ様子が、自然の描写と土地の人々の印象を取り混ぜてつづられている。筋らしい筋もなく、ちょっとわかりづらい作品なのだが、何故か吉野へのこだわりが感じられる。

能「国栖」の知識があると、腑に落ちない部分が見えてくると思う。


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    このページは、が2007年2月17日 13:50に書いたブログ記事です。

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