日本人が馬肉を食うようになったのは何時の頃からだろうか。古い記録が見当たらないのでよくはわからないが、信州の伊那地方や会津など馬の産地では、400年程前から食っていたらしい。東京の庶民についていえば、明治以降馬肉を食う慣習が広まったようだ。明治時代の浅草界隈には、馬肉を売る店が何軒もあったという。
馬肉料理を俗に「けとばし」という。その姿から連想した、日本語ならではの面白いネーミングだ。また、肉の赤身から連想して桜肉ということもある。これは、猪の肉を「ぼたん」というのと同じ発想だろう。
実際に目にしてみると、馬の肉は桜色というよりは緋色に近い。その肉質はマグロを思わせるように柔らかい。
馬肉はステーキやすき焼きは無論、刺身にしてもうまい。牛や豚に比べて脂肪分が少なく、しかも栄養価が高い。こんなところから、最近ではダイエット食として人気を集めているそうだ。
東京で馬肉料理の店といえば、深川森下町のみのやと日本堤の中江が有名だ。どちらも明治年間創業という古い店である。
筆者は、若い頃先輩に連れられてみのやに入り、初めてけとばしを食った。この店は、刺身から始まり桜鍋まで馬肉のフルコースを食わしてくれる。それまで、刺身といえば海のものとしか思っていなかった筆者には、さすがに生の四足には箸が向かなかったが、すき焼きは何とか食うことができた。しかしうまいとは思わなかった。
というのも、筆者は子どもの頃から馬が好きで、その肉を食うことには、抵抗感のようなものを感じていたのである。
その抵抗感も年をとるごとにうすまり、最近では馬刺も好んで食うようになった。二三年前、友人らと信州に旅行した際、小諸駅近くのある店で馬刺を食ったことがあるが、食感といい味といい、馬肉がこんなにもうまいものであったか、改めて感じ入った次第であった。
ところで、世界のほかの国々でも馬肉は食われているのだろうか。馬は犬同様家畜の最たるものとして、人とのかかわりが深いから、これを食う文化と食わない文化は鋭く分かれているらしい。西欧圏でも、ヨーロッパ大陸の人々は抵抗なく馬肉を食うのに対して、イギリスとアメリカでは馬肉を食うことはタブーに近い。
特にアメリカ人は、厳しい開拓の歴史を馬とともに歩んできたという事情から、馬に対しては特別に思い入れが強く、これを食うなど考えられもしないことらしい。筆者がはじめて馬肉を食った際に抵抗感を覚えたと先にいったが、アメリカ人にとっては、抵抗感といった言葉では済まされぬほど親密な間柄が、人と馬との間に成立しているからなのだろう。
したがって、アメリカ人の中に、好んで馬肉を食うものはほとんど存在しない。それでも、アメリカの馬愛好家たちは、愛する馬たちの将来が心配とみえ、アメリカ馬屠殺防止法 “American Horse Slaughter Prevention Act” の制定を連邦議会に求めているほどだ。
だが、中には変わったアメリカ人もいるようだ。先日のタイム誌には、日本で食った馬肉の味が忘れられず、アメリカに帰った後でも手を尽くして買い求める人の話が載っていた。"Horse — It's What's for Dinner; By Joel Stein"
このアメリカ人はカリフォルニア州に住んでいるのだが、カリフォルニアでは馬肉は手に入らない。生産は無論販売する者もいないからだ。そこで調べてみたところ、全米に馬肉の生産業者が3社あることがわかった。これらはいづれも外国(主に日本)向けに馬肉を生産している業者だという。
そのうち2社はテキサスにあったが、人間向け食用馬肉の生産を禁止する州法を発動されて、ついこないだ、閉鎖してしまったということだった。残りの1社はイリノイにあるが、この会社は、カリフォルニア州法が食用馬肉の販売を禁止していることを理由に、売ってくれなかった。
このアメリカ人は、仕方なくカナダのバンクーバーの会社に注文した。カナダにはフランス系の住民が多いこともあり、馬肉アレルギーはアメリカほど強くはないのだ。
その会社は、食用馬肉の販売を禁止するカリフォルニア州法の存在を知っていたので、念には念を入れて送ってきてくれた。その努力が実ったのだろう、梱包紙の上には、税関検閲済みのマークが記されていたそうだ。
喜び勇んだ我がアメリカ人は、早速試食してみた。馬肉は燻製にされていた。西欧系の人々は、馬肉を燻製にして食うのが標準だそうである。フランス人はサラミ、ドイツ人はソーセージにして食うのだそうだ。
我がアメリカ人は、燻製をスライスすると、ヤギの乳のチーズとクラッカーを添え、ワインを飲みながら味わったという。
細君にも勧めてみたが、空腹じゃないからという理由で、敬遠されたらしい。
関連リンク: 日々雑感
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